磁石_(お笑いコンビ)
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磁石
メンバー佐々木優介
永沢たかし
結成年2000年
事務所サワズカムパニー
→三木プロダクション
ホリプロコム
活動時期2000年 -
出会い日本映画学校
旧コンビ名年中無休(佐々木)
現在の活動状況テレビ、ライブなど
芸種漫才コント
ネタ作成者両者
同期ななめ45°
ハマカーン
オードリー
ナイツ
タイムマシーン3号など
公式サイト ⇒公式プロフィール
受賞歴
2011年 THE MANZAI 決勝進出
2012年 第7回決戦!お笑い有楽城 優勝
2012年 THE MANZAI 決勝進出
2014年 THE MANZAI 決勝進出
2017年 TOP1グランプリ 優勝
2021年 第2回お笑い成人式 優勝
2022年 第3回お笑い成人式 優勝
2022年 第1回G-1グランプリ 優勝
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磁石 Official channel
YouTube
チャンネル

磁石 Official channel

活動期間2018年 -
ジャンルコメディ
登録者数約2.55万人
総再生回数約642万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年4月16日時点。
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磁石(じしゃく)は、ホリプロコム及び漫才協会に所属する日本のお笑いコンビ。以前はサワズ・カムパニーへ所属していた。
メンバー

佐々木 優介(ささき ゆうすけ、 (1980-03-31) 1980年3月31日(44歳) - )

ツッコミ担当、立ち位置は向かって左。既婚。

広島県呉市出身、呉市立和庄中学校武田高等学校卒業。実家はテイクアウト専門の巻寿司屋。

身長184cm、体重84kg。血液型A型。

「ササキング」というニックネームがあり、さらにそこから派生して「キング」と呼ばれる場合もある。マジックをするスーパーササキングというネタがあり、芸人仲間からは「さっさん」と呼ばれることもある。

4歳年下の弟がいて、『伝承遊戯』『イチヂク』というバンドドラムを担当していた。現在は東京都豊島区にある巻き寿司屋の店主である。家族と仲は良く、弟のブログに佐々木が甥っ子(弟の息子)を抱っこした写真が載るほど。また実母もTwitterをしており、佐々木自身も母のアカウントをフォローしている。

永沢 たかし(本名:永澤 喬之〈ながさわ たかし〉 (1979-12-28) 1979年12月28日(44歳) - )

ボケ担当、立ち位置は向かって右。未婚。

秋田県秋田市出身、秋田市立将軍野中学校秋田県立秋田高等学校卒業。

身長178.5cm、体重67.0kg。血液型O型。

パチンコが趣味。そのためテレビ番組雑誌に出演することもある。

茶髪で、染めてはおらず地毛である(自身のブログの記事 『風邪ひく永沢』 より)。散髪は主に自分でやっているが、稀に理髪店(1,000円カット)に行く。理由は後ろを切るのがめんどくさくなるから。

名前を平仮名にしたのは本名の「喬之」を正確に「たかし」と読める人が少なく、よく「たかゆき」と間違われるため。

台本(凡その構成など)を書いたり、台本の管理をしたりしている。YouTubeでは企画、撮影、編集を行なっている。

概要・沿革

日本映画学校(現・日本映画大学)で知り合い[1]2000年結成。尊敬する芸人はウッチャンナンチャンで、2人は後輩に当たる。学校ではお笑いの授業があり、その中の発表会で一緒にネタをやったのが結成のきっかけだという。

また、日本映画学校には必修科目として福島県の農村での10日間の農業体験実習があり、2人もこれを経験している[2]

この実習では、携帯電話が没収されるが、当時広島の女性と遠距離恋愛をしていた佐々木は、ホームステイ先の固定電話を毎晩こっそり利用して彼女の携帯に電話していたため、後に高額請求が届いて驚いたホームステイ先の一家とトラブルになった


コンビ名の由来は、2人のイニシャルが「SASAKI」と「NAGASAWA」であることから。まだコンビ名が決まっていなかった頃、永沢が読むところに「N」、佐々木が読むところに「S」と書かれた台本を見て永沢が何の気なしに「NとSって磁石みたいだな」と言ったところ、それを佐々木が気に入って決定した。

佐々木が青、永沢が赤のワイシャツの上にジャケットを着たスーツ姿が定番だった(M-1グランプリ2010まで)。また以前は胸に『G-SHACK』のロゴの入った赤と青の長袖シャツ+ジャケットや、ジャケット・ネクタイなしで青と赤の長袖ワイシャツだった(いずれもシャツの裾を外に出しているのが特徴)。2011年の『THE MANZAI 2011』以降はスーツと白(時折暗色系もあり)のワイシャツに佐々木が青、永沢が赤のネクタイになっている。佐々木は無地チェック柄、永沢は水玉模様のネクタイが多い。

初舞台は、プロダクション人力舎主催の「バカ爆走」の若手勝ち抜き戦コーナー。初舞台を迎える1週間前から永沢が佐々木の家に泊まり込み、毎日50回ほどネタの練習をした。

後述の通り、佐々木はデビュー前からお笑い活動をしていたため、デビュー当初は佐々木がネタを書いていたが、徐々に永沢の書く割合が増え、M-1ラストイヤーとなった2015年頃には、永沢が100%書くようになった。

2008年4月末に三木プロダクションを退社、同年6月19日付けでホリプロコムへ移籍した。これはその日の「ドライブインナガサワ」にて報告されている[3]

M-1グランプリにおいては2003年から2010年まで毎年準決勝まで進出するも(2001・2002年は出場せず)ついに決勝進出は叶わなかった。とろサーモンの10回、天竺鼠の9回に次ぐ敗者復活戦出場回数記録(8回、チャド・マレーン(旧コンビ名・ジパング上陸作戦)及びかまいたちとタイ)を持つ。メンバーは「M-1に踊らされた」と語っている[4]。そしてラストイヤーとなる2015年は準々決勝進出に終わり[5]、連続敗者復活戦出場記録を悪い形で止めてしまった。


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