磁気浮上式鉄道の年表(じきふじょうしきてつどうのねんぴょう)は磁気浮上式鉄道の出来事の時系列順の一覧である。 超電導リニア - JR東海の実験車両MLX01-1(愛・地球博JR東海 超電導リニア館にて)HSST - 愛知高速交通100L形(リニモ)日本初の営業運転となった横浜博覧会での様子、HSST-05
磁気浮上鉄道の歴史(走行実験 - 実用化など)
「磁気浮上式鉄道#概略」も参照
1914年 - イギリス - エミール・バチェレット (Emile Bachelet) が世界初の電磁誘導反発式の磁気浮上リニアモータのモデル実験を行う。
1922年 - ドイツ - ヘルマン・ケンペル (Hermann Kemper) によって電磁吸引式浮上の研究が始まる。
1934年 - ドイツ - ケンペルは磁気浮上鉄道の基本特許を取得した。飛翔体の研究に用いられる事を目的としていたが中断。
1963年 - 日本 - 鉄道総合技術研究所を中心に研究が始まる。
1966年 - 西ドイツ - メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム (MBB) 社が本格的に研究を始める。
1970年 - 日本 - 日本万国博覧会日本館(4号館)で、国鉄の磁気浮上鉄道の模型を展示。
1971年 - 西ドイツ - Prinzipfahrzeug(車上一次リニア誘導モータ)が90km/hを記録。乗客を14人乗せ、世界初の有人走行に成功[1]。
1971年 - 西ドイツ - クラウス=マッファイ社が中心となったトランスラッピッド・プロジェクトのTR-02号機がに164km/hを記録。
1972年 - 日本 - 国鉄が日本の鉄道100周年を記念して超電導リニアML100による試験走行を公開。
1974年 - 西ドイツ - シーメンス社が中心となり、超電導による電磁誘導式浮上のEET-01が280mの円形軌道で230km/hの走行実験を行った。
1974年 - 日本 - 宮崎実験線着工
1975年 - 西ドイツ - Komet (Komponentenmestrager) が14mmの電磁吸引浮上で水蒸気ロケット推進ながら401.3km/hの記録樹立。
1975年 - 日本 - 日本航空がクラウス=マッファイ社の技術を導入してHSSTの開発プロジェクトを立ち上げる。
1976年 - 日本 - 運輸省は独自に通勤用の磁気浮上式鉄道イーエムエルプロジェクト(EMLプロジェクト)を立ち上げる。
1970年代?80年代 - アメリカ - 磁気浮上の研究が行われていたがその後低調となり、ローマグ社 (Romag) から開発を引き継いだボーイング社で1980年代中までは行われていたようである。
1977年 - 日本 - 宮崎実験センターと1.3kmのガイドウェイが完成、実験を開始する。
1979年 - 日本 - 宮崎実験線のガイドウェイの建設が進められ、全長7kmが完成する。12月21日にはML-500R(無人)によって517km/hの世界記録を樹立。
1980年 - 日本 - 超電導リニアの宮崎実験線をU字型軌道に改良。有人走行車両MLU001を導入。
1983年 - 西ドイツ - TR-06がエムスランド実験線 (20.3km) で走行試験を始める。
1984年 - 英国 - 世界初の実用化路線として、バーミンガムピープルムーバがバーミンガム空港と鉄道駅間に完成(1995年運行停止)。英国ではホバートレイン計画の中止後、イギリス国鉄や大学で磁気浮上鉄道の研究が行われていた。イギリス国鉄は市場調査の結果、低速の市内交通に磁気浮上鉄道の可能性があるとし、小型低速タイプの研究を行っていたが、その成果である。
1985年 - 日本 - HSST-03が筑波万博で30km/hと低速の走行ながら人気を博す(つくば科学万博の交通も参照)。また1986年にカナダで開催されたバンクーバー国際交通博覧会、1987年の岡崎葵博覧会
1988年3月19日 - 日本 - HSST-04が熊谷市で行われたさいたま博覧会でが展示走行。最高速度30km/h。
1988年 - 米国 - ラスベガスとアナハイムを結ぶ磁気浮上式鉄道の建設計画が浮上。
1989年 - 日本 - 横浜市で開催された横浜博覧会の会場内にて、HSST(YES'89線)が日本初の営業運転。磁気浮上式鉄道として正式に運輸当局の認可(第一種鉄道事業・営業運転免許)を得た初めての営業運転であった。最高速度42km/h。
1989年 - 西ドイツ - M-Bahnが西ベルリンのグライスドライエック