硬貨
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この項目では、硬貨一般について説明しています。日本で流通している硬貨については「日本の硬貨」を、「コイン」のその他の用法については「コイン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

硬貨(こうか)とは、一般に何らかの金属合金含む)で作られた貨幣である。コイン(coin)ともよばれる。かつて「コイン」は基本的に金や銀の素材金属の価値と額面の差の無い本位通貨やその補助貨幣として鋳造されることが多かったが、現在は管理通貨制度の下で不換紙幣と並列して素材の価値が額面を大きく下回る硬貨[注釈 1]のみが流通する。

他方、経済学においては「硬貨」はハードカレンシー(国際決済通貨)や本位貨幣を指すことばであり、対義語の「軟貨」(ソフトカレンシー)とは国際決済に用いられない・用いることが出来ない通貨を指す。
歴史詳細は「貨幣史」を参照

現存している最古の硬貨は、アナトリア半島リディア王国で作られたエレクトロン貨である。硬貨がいつ誕生したかについては確かなことは分かっていないが、紀元前10世紀頃のギリシアではすでに作られていたようである。良く知られた話によると、物と物との交換に嫌気がさしたギリシャ人が物の交換の仲立ちになる物を使ってはどうかと話合い、最初は鉄釘を使ってみた。しかし鉄釘は作るのは簡単だが形状がいまひとつで人にやるわけにもいかず、すぐに使われなくなった。その後リディア近郊に住んでいた若者が、後にコインと呼ばれるものをつくって国王に献上したところ、ギリシア人はみなその発想に驚いたという。それから紀元前600年から紀元前300年にかけて、ギリシアでは各地の鋳型彫刻工たちが芸術性を競い、シラクサ出身のキモンエウクレイダス、エウアイネトスなどの腕の良い彫刻師が現れた[1]
形態古代アテナイのテトラドラクマ銀貨

硬貨は一般的に丸い形をしている物が多いものの、四角、五角、六角、七角、八角など多角形をしたものも存在する。このうち頂点の数が奇数の多角形は、しばしば定幅図形となっている(理由はルーローの多角形に詳しい)。他にも、周囲を帆立貝状にしたものなどが流通している。硬貨の真ん中に穴を開けた物も、各国に存在する。この穴は、古来紐を通して保存する目的で空けられたが、現在のコインは小額かつ小型であまりその有用性は重んじられていない。しかし、同じ大きさのコインの触感による弁別を容易にするため、この意味での穴の存在価値はある。流通を目的としない収集家向けの硬貨にはギターの形や国の地図の形など特殊な形態の硬貨も存在する。

周囲に溝(ギザギザ)が刻まれた硬貨は世界中に有るが、元来この溝は原材料である貴金属の不正入手を防ぐために考案された。金・銀貨の周囲を不自然にならない程度にで削ってその削りかすを不正に手に入れるという犯罪が横行したからである。対策として、コインの周囲に溝を刻み少しでも削ると目に見える変化が現れるよう改良した。現在の貨幣に見られる周囲の溝はこの対策の名残である。なお、現在においては、この周囲のギザは視覚障害者にとって、触感で硬貨の区別を行う重要な手段であり、ユーロ硬貨などでは、周囲の溝のみならず、窪みや溝など額面によって判別が容易になるように工夫されている。また、イギリスでは視覚障害者が硬貨の判別を行いやすいように、円形ではない多角形の硬貨が敢えて導入されたこともあった[2]

紙幣には番号が印刷されているが、硬貨は同一の刻印で金属板を打刻するため番号を1枚毎変えるには膨大な版型を必要とし、現実には不可能のため、発行年度のみが刻まれる。万が一、不良品が出た場合でも、発行年度の情報を手掛かりに解消の対応策がとりやすい。
肖像アレクサンダー大王の肖像、トラキアのリシュマコス発行のテトラドラクマ銀貨、紀元前297年 - 紀元前281年

西洋ではコインには発行当事者の肖像を彫ることがヘレニズム時代より行われた。肖像は為政者が変わっても貨幣価値には変わらず、回収されることはなかった。

今も君主国では現在の君主の肖像を刻むことが多い。また共和国では過去の大統領や歴史的偉人の肖像などが用いられる。近年では欧米でも肖像を用いない硬貨が増加している。

東アジアの伝統的な硬貨では肖像は用いられないが、の末期に各地で製造された近代硬貨の中には、光緒帝の肖像を刻んだものが存在する。また袁世凱中華帝国皇帝として自らの肖像を硬貨に刻ませている。中華民国孫文?介石の肖像を刻むことが多かった。

日本では畏れ多いとして天皇の肖像が刻まれることはなかったが、明治初期の紙幣と1957年の100円銀貨発行時に試みられたことはある。欧米諸国の硬貨と同様な大きく人物の肖像を図案とした最初の硬貨は、1990年に発行された国際花と緑の博覧会記念5000円銀貨幣であるが、これは実在の人物ではなく、花の女神フローラになぞらえた少女の肖像であった。実在の人物の肖像を図案とした最初の硬貨は、2010年に発行された地方自治法施行60周年記念貨幣(高知県)であり、坂本龍馬の肖像が刻まれた。
素材

硬貨の素材としては古来より、のいわゆる貨幣金属(coinage metal)と称されるこの3種の金属が貨幣製造に用いられてきた。

金貨:19世紀半ばから1920年代にかけての金本位制における本位金貨であったが、現在発行されているものは全て本位貨幣ではなく、素材価値が額面価値とリンクしない収集型金貨または地金型金貨である。日本においては1986年に天皇陛下御在位六十年記念十万円金貨臨時補助貨幣として発行されたことがある[3]

銀貨:19世紀半ばまでは本位銀貨補助銀貨が存在したが、これも現在発行されているものは素材価値が額面価値と一致しない「収集型銀貨」としての記念貨幣や「地金型銀貨」である。銀含有量も様々。

銅貨:純銅の物は少なく、多くは耐久性などの面から青銅貨として製造されるので、一般的には銅貨というとこの青銅貨を指す場合が多いが、広義では銅を主体とする合金(例えば白銅黄銅など)で製造された貨幣も銅貨に含まれる。

この他に、ニッケルアルミニウム亜鉛鉄貨)などの金属や、さらには非金属では陶器樹脂などを素材にしたものもある。鉄に関しては、現代日本では鉄貨は発行されていないが、世界的にはステンレスやメッキ鋼鉄として硬貨に用いられる場合が多い。メッキしていない亜鉛、錫、鉄、陶器、樹脂などは硬貨の素材としてはあまり適していないが、戦時中などの非常事態の場合にそのような材質で硬貨が製造された例がある。逆にプラチナパラジウム等の白金族元素の金属を用いた硬貨も存在する。

本位貨幣制度においては額面相当の金や銀を含有した硬貨が用いられた。補助貨幣ではや銅合金を中心とした素材が用いられ、素材の価格と製造費用が額面を上回らない様に選ばれてきた。例えば日本では臨時通貨法の下での百円硬貨は当初銀貨であったものが、インフレの進行に伴う素材価格高騰を反映して白銅貨に置き換えられている。あるいは1950年に発行が計画された十円洋銀貨については準備中に洋銀に用いるニッケルの価格が高騰したため「ニッケル等使用制限規則」により発行が取りやめとなった。さらに、1906年(明治39年)、1918年-1922年(大正7年-11年)には銀価格高騰により補助銀貨に鋳潰しの懸念が出たため量目削減の改正も行われた[4]

通貨としての流通を目的とした金貨や銀貨が世界的に見られなくなった現代社会においては、一般的に高額硬貨は白銅貨、低額硬貨には青銅貨が用いられる場合が多かったが、近年の銅貨では世界的に、外見が銅色でしかも材質が全体として銅合金となっている例は少なく、外見が銅色の硬貨については銅メッキ鋼鉄が用いられる例が多い。

日本の一円硬貨やアメリカ合衆国の1セント硬貨などは額面以上の製造費用がかかっており、製造すればするほど赤字となっている場合がある。これらは便宜上需要があるため製造を打ち切れない為である。

通常は全体が均質な素材であるが、2種類の金属をサンドイッチ状に貼り合わせたクラッド貨幣や、ユーロ硬貨のうち1ユーロ、2ユーロ硬貨のように、中心部と外周部で異なる金属を使用したバイメタル貨幣と呼ばれるものもあり、近年では世界的に高額硬貨で偽造防止のために採用される場合が多い。


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