硫黄島_(東京都)
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この項目では、東京都の硫黄島について説明しています。鹿児島県の硫黄島については「硫黄島 (鹿児島県) / 昭和硫黄島 (新硫黄島)」をご覧ください。

硫黄島

衛星写真
所在地 日本東京都
所在海域太平洋フィリピン海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯24度45分29秒 東経141度17分14秒 / 北緯24.75806度 東経141.28722度 / 24.75806; 141.28722座標: 北緯24度45分29秒 東経141度17分14秒 / 北緯24.75806度 東経141.28722度 / 24.75806; 141.28722
面積29.86 km²
海岸線長約22 km
最高標高172[注 1] m
最高峰摺鉢山(パイプ山)
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プロジェクト 地形
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空撮(2014年)硫黄島遠景(2007年)摺鉢山(2007年)摺鉢山の噴気帯

硫黄島(いおうとう)は、小笠原諸島の南端近く(沖ノ鳥島を除く)にある東西8 km、南北4 kmの。小笠原諸島最大の島である。周囲の島々と合わせて火山列島(硫黄列島)と呼ばれる列島を形成している。
概説

行政区分上は、東京都小笠原村に属し、東京都区部(東京23区)からは、南方におよそ1,200 kmに位置する。

歴史的呼称として硫黄島(いおうじま)の別称もある。 ※名称については後述

島内の最高峰は、摺鉢山(標高172 m[1])。

活火山の火山島であり、地熱が高く、島のいたる所に噴気があり、噴出する火山性ガス二酸化硫黄等)により特有の臭いが立ち込めている。これが硫黄島の名の由来である。火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている[2]。島の北西約15 kmの海底にある海勢西ノ場や、島の南約20 kmの海底にある海神海丘にも火山活動の記録があるが詳細は分かっていない[3]

島は第二次世界大戦の激戦地(硫黄島の戦い)として知られる。戦後から現在は海上自衛隊航空自衛隊基地が置かれており、基地関係者以外の民間人の立ち入りが出来ない。しかし、旧島民らの慰霊のための上陸は、例外として許される。このため、小笠原諸島に属してはいるものの、小笠原国立公園世界遺産の登録からは除外されている。
島の名称

島名は、島の至るところで見られる硫黄に由来する。

硫黄島の呼称は、第二次世界大戦以前は島民と主に大日本帝国陸軍の間では「いおうとう」、大日本帝国海軍の一部の間と明治時代作成の海図では「いおうじま」としていた。アメリカ合衆国ではこの海図の表記に従い「Iwo Jima(イオージマ)」とし、終戦後、同島はアメリカ軍の統治下にあったことから「Iwo Jima」と呼称されていた。

1968年(昭和43年)に同島の施政権が日本国政府に返還された際に、国土地理院発行の地形図上の呼称は「いおうとう」に戻されたが、1982年(昭和57年)の地形図改訂の際に、小笠原村は同島の呼称を「いおうじま」と東京都に報告、東京都庁ではこれに基づき「いおうじま」と公報したため、地形図においても「いおうじま」と呼称されるようになった。各報道機関でも同島を「いおうじま」と報道したことにより、2007年(平成19年)までは「いおうじま」と呼ばれていた。

硫黄島の呼称を「いおうとう」に統一するようにという要望は、旧島民およびその子孫などの間から古くからあった。この要望に応え、2007年(平成19年)3月に小笠原村議会では、第1回議会定例会の最終日に、同島の呼称を「いおうとう」に統一する「硫黄島の呼称に関する決議案」を提出し採択され、小笠原村は地名の修正を国土地理院へ要望した[4]

2007年(平成19年)6月18日、国土地理院及び海上保安庁海洋情報部海図の作成を担当[5])にて構成される「地名等の統一に関する連絡協議会」は「硫黄島」の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」に変更する同日協議された結果を発表した[4]。併せて北硫黄島は「きたいおうとう」に、南硫黄島は「みなみいおうとう」にそれぞれ変更された[4]。これにより火山(硫黄)列島の三島とも「島」の公式呼称はこれまでの「じま」から「とう」となった。国土地理院では、平成19年(2007年)9月発行の地形図から、ついで海上保安庁の発行する海図でも「いおうとう」が正式な表記となっている。

この変更直前まで国土地理院、海上保安庁の他、日本放送協会 (NHK) でも「いおうじま」としていたが、小笠原村役場と『日本の島ガイドSHIMADAS』(ISBN 978-4931230149)を発行する財団法人日本離島センターでは「いおうとう」としていた。

アメリカ合衆国の資料においても、一部はこの変更に追従して「Iwo To(イオートー)」と改められており、JTWCの台風進路予想図などはその一例である。

一方、「Iwo Jima(イオージマ)」は第二次世界大戦中、太平洋戦線で屈指の激戦地としてアメリカ合衆国でも特に有名であることから、この名称に特別な感情を持つ者もアメリカ海兵隊の関係者を中心に多くおり、退役軍人組織のひとつである「ベテランズ・オブ・フォーリン・ウォーズ」はこの変更に不快感を示した。実際に改名反対の声明を出した団体もあるという[6]。その表れとして、その名がアメリカ海軍ワスプ級強襲揚陸艦の7番艦「イオージマ」(USS Iwo Jima,LHD-7)に残るほか、かつて就役したイオー・ジマ級強襲揚陸艦の1番艦(LPH-2)にも使われていた。

2006年にアメリカ合衆国で制作された、アメリカ映画硫黄島からの手紙』の読みは「いおうじまからのてがみ (Letters from Iwo Jima)」である。

2014年(平成26年)3月11日の「領土・主権をめぐる内外発信に関する総合調整会議」により、島名の英語表記は「島名(読み仮名のローマ字表記)+” Island ”の表記を標準とする。」[7]ことと決定し、「外国人にわかりやすい地図表現(第44回国土地理院報告会、2015年6月4日)」における例示[8]の通り、公式な英語表記は「Ioto Island」[9]となった。
アルファベット表記のゆれ

前述のとおり、日本語の平仮名による表記は「いおうとう」であり、アルファベット表記では「Ioto」となっている[9]JTWCでは「Iwo To」と表記している[10]
地形と地理
位置硫黄島の空中写真。(2020年1月22日撮影の59枚より合成作成)。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。硫黄島の衛星画像(2016年9月11日に国際宇宙ステーションより撮影)

東京都の小笠原諸島の島で、同諸島の行政府が置かれている父島からは南南東へ300 km、本州グアム島南鳥島沖縄本島から、それぞれ1,200 kmから1,300 km程度の等距離に位置する。硫黄島の北方約75 kmには北硫黄島、南方約58 kmには南硫黄島があり、この3島で火山列島(硫黄列島)を構成する。3島とも同じ造りの海底火山の島であり、その海底からの山体の体積は富士山を遥かに凌ぐ。
海上の地形

硫黄島は、島の主体となる元山火山体と南西部の単成火山である摺鉢山の2つの火山を、海岸砂丘の千鳥ヶ原(滑走路付近)が繋がり、摺鉢山を基点に西岸を千鳥ヶ浜、南岸を二ツ磯浜、釜浜の直線的な海岸で北東側に扇形に広がる地形をしている。島の北岸は貿易風や波蝕を受けた崖が発達している。面積は約30 km2で東京都板橋区とほぼ同じである。

元山は現在は標高約100 m前後、面積は約5 km2ほどのほぼ平坦な台地状になっており、北西側の高まりには大坂山(約111 m)、北東側の高まりには東山(約112 m)と名がつけられている。東端の釜岩へ繋がる北海岸は大きな「井戸が浜」と呼ばれる砂海岸が広がり、沖合に監獄岩とよぶ岩礁を望む。島の全周は約22 km、長軸の北東-南西の長さが約8.3 kmである。摺鉢山と繋がる千鳥ヶ浜南部の地峡は約800 mとなっている。
海底火山の形成

硫黄島が乗る海底からの比高2,000 m以上になる山体は、直径40 kmに及び[11]、山頂部に直径約10 kmのカルデラを形成している。カルデラの大半は海面下にあり、釜岩、監獄岩、東側沖の東岩などの岩礁群はこのカルデラ壁[12]、元山は中央火口丘、摺鉢山は側火山に相当する。摺鉢山は文字通り「すり鉢」を伏せたような形状で、標高は172 m[1]でパイプ山の別称がある。

本島の火山岩は、SiO2Na2O+K2Oアルカリ成分に富む粗面デイサイト・粗面安山岩からなる。鶉石と呼ばれる世界的に算出が稀な火山岩礫が多数存在している[13]
有史以前の火山活動

20世紀以降の活動については噴火記録がよく残されているが、19世紀以前はよくわかっていない[14]

島内各所から採集した岩石試料の分析から、カルデラ形成年代は十数万年前以降、約2700年前より以前と推定されている。元山はこのカルデラの再生ドームにあたる。

島北部の北の鼻海岸付近で得られた炭化木片試料の年代測定では、約2700年前に元山溶岩・元山火砕岩を噴出する大きな噴火(総体積1.2 km3以上)が発生。それ以前から陸化していた硫黄島覆い、その後島は海中に沈んだ。

2000-1600年前に監獄岩周辺の海底で火山活動が生じ、ペペライトを生成。約1400年前に摺鉢山周辺で沖縄まで軽石を漂着させるような大規模な噴火が発生。約500年前に元山が急激に隆起。この時期までに元山の上部が海面上に露出し、硫黄島が再出現した。同時期に、摺鉢山の北部浅海でマグマ水蒸気噴火が発生。続いて摺鉢山溶岩が流出し、上部は海面上に露出。元山の南西に火山島が出現した。その後、ある程度の時間間隙を経て、マグマ水蒸気噴火やストロンボリ式噴火が発生。摺鉢山火砕丘を形成した。これで現在の硫黄島の原型が出来上がる[15]

100年前から現在にかけては、東海岸?北ノ鼻?阿蘇台断層沿い?元山南海岸沖の、元山を中心とする環状の領域で小規模噴火や水蒸気噴火が生じることが多い[12]
有史の火山活動

有史以来の主な火山活動は水蒸気爆発である[11]


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