破城槌
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屋根と車輪のついた破城槌

破城槌(はじょうつい)、攻城槌(こうじょうつい)または 衝角(しょうかく)とは、城門城壁を破壊し、突破することを目的とした攻城兵器。丸太状の物体を垂直にぶつけることによって、その衝撃で対象を破壊する。カタパルト(投石機)と並んで古代より用いられた古い兵器の一つでもあり、大砲が攻城兵器の主流となる中世後期まで歴史的にかなり長い期間用いられた。
原理と発展シュトルムボック

最も初歩的なものは、木を切り倒して枝を掃ったもの(丸太状の棒)を、数人から数十人の歩兵が両側から抱え持ち突進し、何度も城門にぶつけるものである。通常は、素早く門や壁に取り付くために専用の荷台で運搬し、接近後に衝角を持ち上げ使用した。その後、より洗練された形として、衝角を釣鐘の撞木状に固定した構造を持つもの(右絵のシュトルムボックのようなもの)が登場し、車輪付き荷台と組み合わせることで、移動速度と威力を高めた。

しかし、これだけでは防御側による上方からの攻撃に非常に弱いため、屋根を持つ構造のものが登場する。これが現代によく知られる「破城槌」であり、屋根その物が衝角を吊るす構造と一体化することとなる。また、単純な屋根では矢は防げても、石などの落下物の衝撃には依然弱いため、頂点が鋭角の三角形状でなるべく落下物を逸らせる構造のものが用いられた。加えて後述するように火矢などの攻撃から守るために、湿った被覆材で覆うのも一般的であった。なお、衝角がなく屋根と移動のための車輪だけといったものも良く用いられた。壁を直接崩すのではなく下に穴を掘る、あるいはを埋めるといった工作作業のためにも、屋根によるシェルター構造は非常に有用であり、これら屋根構造を持つ兵器は衝角の有無に関係なく「猫」と呼ばれた。

また、衝撃の威力を高めるのと同時に、衝角を補強する目的で、その先端に金属が被せられるのも一般的であった。
破城槌への対応方法

古くからは通常の防御手法と同じく、弓矢などの落下物による攻撃が定石であった(特に壁に取り付く必要がある以上、落下物に弱い)。屋根を持つ構造となった後も、耐久性の観点から依然として石などの重量物の落下攻撃は有効であり、また、火矢やギリシア火薬といった燃やす攻撃も取られた(先述のようにこの対策として屋根を湿った被覆材で覆った)。また、衝角による門や壁への衝撃を緩和するために、厚手の布(エプロン)などを間に垂らして守るという方法もあった。

十字軍遠征においては、イスラム側は先にフックをつけたポールを使って、そのフックを破城槌の屋根に引っ掛け、ひっくり返すという手法を編み出した。これは対破城槌の手法としては非常に効果的であり、十字軍後の欧州ですぐに用いられるようになった。

また、城郭の構造として、城門とそこへの通路を直線状に配置しないことは、進行方向の変更が苦手で、原理上垂直に取り付かなければならない破城槌にはとりわけ有効だった。
その他の破城槌バタリングラム

古代アッシリアの軍隊で用いたものは丸太の一端が軸で固定され、補強した他端を人力で高く持ち上げては落として城門や城壁などにぶつける方式のものがあった。

中国では「衝車」があり、『日本書紀天智天皇即位前期(662年)12月条には、「唐軍高麗に対し、雲車(たかくるま)や衝車(つきくるま)を用いて攻めた」という報告があり、古代から日本でも認識は見られる。

日本戦国期では「掻盾牛」(かいだてうし・車輪付き盾)を縦向きにし、その中に槌を載せ、用途に応じて、「亀甲」と呼ばれる破城槌とした(外観は、右上の画像と同じ)。用途に応じて破城槌となる攻城兵器として、「転盾(まくりたて)」もあり、車輪付きの大盾(狭間付き)だが、盾の上辺にも車輪を備え、城門まで来たところで、盾を底として倒し、この上に槌となる材を置き、破城槌とした。


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