砧公園
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分類都市公園
所在地 日本東京都世田谷区
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度37分44.5秒 東経139度37分16.5秒 / 北緯35.629028度 東経139.621250度 / 35.629028; 139.621250
砧公園(きぬたこうえん)は、東京都世田谷区に所在する東京都立公園である。本記事では住所表記上の町丁名としての「砧公園」についても述べる。
サクラの花見の名所として有名である。周辺の自治体にある小学校、幼稚園からも児童が遠足で訪れる[1][2][3][4]。
園内には世田谷区立世田谷美術館もある。また、気象庁のアメダス雨量計が設置(東名高速道路を挟んだ南側の岡本一丁目39番地東端)されている。園内中央を谷戸川が貫く。 1966年5月5日より緑地の一部をファミリーパークとして開園した。当時の開園時間は午前9時から午後4時30分で夜間立入禁止であった[8]。1970年代には、東京における暴走族の大規模な集結地の一つとなっていた[9]。
概要
所在地:東京都世田谷区砧公園
沿革:前身は、紀元2600年記念事業として都市計画決定された大緑地。戦中は防空緑地。戦後は1949年に野球場・野営場が、1955年12月5日には都営ゴルフ場(東京都砧ゴルフ場)が開設された[5](1966年廃止)[6][7]。
開園:1957年4月1日[6]
面積:391,262.26 m2[6]
歴史
ゾーン・施設
砧公園サービスセンター
砧ファミリーパーク:サイクリングコースの内側がファミリーパークとされ、自転車の乗り入れや犬などペットの連れ込みは禁止されている。
バードサンクチュアリ:ファミリーパークの西側に位置する。
野球場
ミニサッカー場
サイクリングコース
アスレチック広場
世田谷区立世田谷美術館:用賀駅から美術館への道標がたぬきの形をしている。
フランス料理レストラン「ル・ジャルダン」(美術館内)
春の砧公園。花見客で賑わう。
秋の砧公園。
冬の砧公園。2月は梅の見頃。
町域としての砧公園砧公園周辺の空中写真。公園の東側を南北に環八通り、南側を東西に東名高速道路が走る。1989年撮影の2枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
砧公園一帯は住居表示の実施により「砧公園」という町名になっている。
行政管轄
郵便番号:157-0075
所轄警察署:成城警察署
所轄消防署:成城消防署
所轄郵便局:成城郵便局
町域の変遷
もともとの区画は、東京府荏原郡瀬田村および用賀村、神奈川県北多摩郡大蔵村、鎌田村、横根村[10]および岡本村であった。
1889年にそれぞれ荏原郡玉川村大字瀬田および大字用賀、北多摩郡砧村大字大蔵、大字鎌田および大字岡本になり、その後砧村が東京府に編入される。
1932年10月1日、荏原郡玉川村が東京市世田谷区に編入される。
1936年10月1日には砧村も同区に編入される。この時点での町名は、東京都世田谷区玉川瀬田町、玉川用賀町、大蔵町、鎌田町および岡本町。
1955年の飛地整理で、鎌田町の内現在砧公園になっている部分は大蔵町に編入された。
1971年、住居表示の実施に伴う町域変更で、玉川瀬田町、玉川用賀町、大蔵町および岡本町の各一部を併せ、町名として砧公園が成立する。