砂田弘
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砂田 弘(すなだ ひろし、1933年5月26日 - 2008年3月20日)は、日本児童文学作家評論家
来歴・人物

当時日本の一部になっていた朝鮮半島の、現在の大韓民国に相当する地域で生まれる。敗戦後は父の故郷である山口県に引き揚げ、いわゆる外地からの引揚者として育つ。

福岡県立修猷館高等学校在学中には北原白秋に傾倒し、高校の文芸誌にも多くの童謡を発表した。早稲田大学第一文学部仏文学科卒業。当初は早稲田大学公認サークルである「早稲田大学現代文学会」(生島治郎富島健夫などを輩出)に入会する。だが部室が早大童話会と斜め向かいの位置関係にあり、童話会にも出入りするようになると、童話会のほうに魅力を感じていった。まったく同じサークル遍歴をたどった古田足日が同人の「小さな仲間」に参加。古田らと交流を深めたを機に創作活動に専念。多数の創作・伝記・評論を執筆した。童話会メンバーが中心になって発足した「びわの実学校」の同人でもある。

タクシー運転手が欠陥車によって引き起こされた事故に巻き込まれて葛藤する姿を描いた『さらばハイウェイ』(1970年、偕成社)で日本児童文学者協会賞受賞。また、『砂田弘評論集成』(2003年、てらいんく)で日本児童文学者協会賞特別賞を受賞。

中でも代表作の一つである『二死満塁』(1978年、ポプラ社)は少年野球をテーマとし、野球を愛する事で人間的弱さや不幸な環境を乗り越えて成長する少年の姿を生き生きと描き出した作品である。

1981年から1984年まで山口女子大学教授を務め、2000年から2006年までは日本児童文学者協会第13代会長を務めた(両者とも古田足日の後任)。

2008年3月20日胃癌の為に逝去。74歳没
著書
1960年代

東京のサンタクロース
理論社 1961 (創作少年文庫)

にのみやきんじろう 小峰書店 1963 (幼年偉人ものがたり)

マルコ・ポーロ 三十書房 1964 (少年少女世界探検家物語)のちフォア文庫 

豊田佐吉 国土社 1967 (子ども伝記全集)

道子の朝 盛光社 1968 のち偕成社文庫 

世紀の海底トンネル 粕谷逸男共著 鹿島研究所出版会 1968 (少年の科学)

1970年代

さらばハイウェイ
偕成社 1970 のち文庫 

帰ってきたゼロ戦 国土社 1971 (創作子どもSF全集)

ちびっこが七人 フレーベル館 1971

よわむしツヨシ 講談社 1971

まちとむら ポプラ社 1971 (しゃかいの絵本)

ベーブ・ルース 小峰書店 1972 (幼年伝記ものがたり) のちフォア文庫 

甲子園・熱球物語 講談社 1973 (少年少女講談社文庫)

六年生のカレンダー 偕成社 1973 のち文庫 

サインのない手紙 行け!少年探偵団 偕成社 1974 のち文庫  ※1982年、こども傑作シリーズ(テレビ朝日)にて3回ドラマ化。

きゅうきゅうしゃのぴぽくん 偕成社 1974 (のりもの絵どうわ)

ゴンにきたてがみ 小峰書店 1975

三人で見た空 金の星社 1975 のちフォア文庫 

五年生のスケッチ 偕成社 1977

二死満塁 ポプラ社 1977 のち文庫 

おばあさんのとっくり 岩崎書店 1977 のちフォア文庫 

少年少女世界伝記全集 16 一休さん 主婦の友社 1977

まさるのぼうけん 金の星社 1978

ファーブル 講談社 1978

1980年代

八月の冒険 小学館 1980

いやいやバスの3ばんくん 小峰書店 1980 (のりものえほん)

おかあさんのまたこんどね PHP研究所 1981

三人のちびっこはかせ
佼成出版社 1981

あさいちばんのしんかんせん 小峰書店 1981 (のりものえほん)

田中正造 公害とたたかった鉄の人 講談社火の鳥伝記文庫 1981

トランプ物語 偕成社 1982

高杉晋作 さ・え・ら書房 1982 (少年少女伝記読みもの)

まわるまわるやまのてせん 小峰書店 1983 (のりものえほん)

父さんはやっぱり父さん あすなろ書房 1984

パパがお父さんになるとき 小峰書店 1984

ふたりのブルートレイン 岩崎書店 1984


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