砂田実
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すなだ みのる
砂田 実
生誕 (1931-10-17)
1931年10月17日(92歳)
東京都
職業東京放送テレビプロデューサー
渡辺プロダクション常務取締役
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砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、日本テレビプロデューサー演出家音楽プロデューサー。ラジオ東京→東京放送(TBS。後のTBSホールディングスTBSテレビTBSラジオ)、渡辺プロダクションを経てフリーランス東京都出身[1]
来歴・人物

戦争中は疎開先の石川県で勤労動員され、帰京後、東京都立第二十一中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)で青島幸男すぎやまこういちと同期になる[2]。同校入学後1年を経て、臨時募集で慶應義塾中等部に転入し慶應義塾高等学校に進学[3][2]。同高校の同級生に浅利慶太がいた[4]

1955年慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業し、ラジオ東京へ入社。1956年、前年開局のテレビ局内テレビ製作部に配属。主に音楽番組を専門にプロデューサー業務に従事。草創期のテレビ番組(特に音楽番組)の演出制作を行う。日本レコード大賞TBS歌謡曲ベストテン歌のグランプリ東京音楽祭の総合プロデューサーを務める。

日本の歌謡曲の発展にテレビ番組が果たした功績は大きいが、そのなかで砂田が携った日本レコード大賞東京音楽祭は、『音楽そのものの魅力』に加え、「テレビカメラの前の生演奏や聴衆の反応」や「受賞作品の発表等」の『テレビならではの演出』が大きな人気を獲得した。

当時のテレビ制作は、分業化がされておらず、社会的な認知も低かったことから、「音楽出版業界」と「プロダクション」との調整が、困難な時代であった。砂田は総監督としてこれを乗り越え、多方面の演出家や作曲家と協業し、番組を成功に導いている。

同時期にTBSに在籍した久世光彦実相寺昭雄、金野勉、鴨下信一、渡辺正文等とともに、テレビ番組の発展に貢献したひとりである。

TBS在籍時に、番組制作の傍ら、実力派歌手達のコンサートにおける構成演出を手がけた[5]。また副業で放送作家やCM制作と多方面で活躍。

1976年にTBSを退社、渡辺プロへ常務取締役として転籍。1985年の渡辺プロ退社後は、フリーとして、番組制作やイベントのプロデュースを行う。
詳細情報
企画・制作に関わったテレビ番組

日本レコード大賞
日本レコード大賞に砂田が着目し、野中杉二等とともに、1959年からテレビ放送化した。

東京音楽祭
国内大会(ゴールデンカナリー賞選出大会)の第1回から最終開催まで総合プロデューサーとして番組を総指揮(世界大会のプロデューサーは渡辺正文)。

植木等ショー
総合プロデューサー。

TBS歌謡曲ベストテン

制作に関わったCM

丸定商店(のちの
アイデアル)「アイデアル洋傘」

キンチョール(大日本除虫菊

ナショナルパナカラー(松下電器産業

コンサート制作

菅原洋一[5]

ザ・ピーナッツ[5]

梓みちよ[5]

森山良子[5]

尾崎紀世彦[5]

五木ひろし[5]

ステージ制作

雪村いずみ:「約束」

ちあきなおみ:「ねえ、あんた」

ザ・ピーナッツ:「さよなら、ピーナッツ」


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