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さがわ けいすけ
砂川 啓介
本名山下 啓一(やました けいいち)
生年月日 (1937-02-12) 1937年2月12日
没年月日 (2017-07-11) 2017年7月11日(80歳没)
出身地 日本・東京都江東区深川
死没地 日本・東京都港区
身長168 cm[要出典]
血液型B型
職業俳優、タレント
ジャンルテレビドラマ、バラエティ番組、舞台
活動期間1954年 - 2017年
活動内容俳優、タレントなど
配偶者大山のぶ代
主な作品
おかあさんといっしょ
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砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年〈昭和12年〉2月12日 - 2017年〈平成29年〉7月11日[1])は、日本の俳優、タレント、司会者。初代たいそうのおにいさん。東京都江東区深川出身。妻は声優の大山のぶ代。 成城高校在学中に『足摺岬』など数々の社会派映画に出演。1955年、早稲田大学文学部に入学、半年で中退[2]。演技の基礎を学ぶため、江口舞踊研究所へ入所して本格的にモダンダンスの指導を受ける。 1961年に『うたのえほん』初代「たいそうのおにいさん」として著名になり、1966年に『おかあさんといっしょ』と統合されたのちも、1969年まで8年半にわたって出演した。 1964年には孫悟空の舞台での共演が縁で大山のぶ代と結婚した。当時、大山は『おかあさんといっしょ』初代人形劇の『ブーフーウー』の声優だったが、砂川の出演する『うたのえほん』とは別番組であったためか、顔を合わせる機会は無いに等しかった。子女には恵まれず、第1子[3]と第2子を亡くして[4]以降は設けていない。 『お昼のワイドショー』で青島幸男と古今亭志ん馬 (6代目)の後継として、1980年から6年間司会を務めるなど多方面で活躍した。1985年に劇団フジの舞台へ出演し、以後は俳優、タレント業、舞台演出、ラジオパーソナリティー、講演活動など幅広く活動した。 1988年に、のぶ代と共著で料理本『啓介・のぶ代のおもしろ惣菜170』を主婦の友社から上梓して100万部を超えるベストセラーとなり、1991年に続編『啓介・のぶ代のおもしろ酒肴』を記した。 2001年に、がんと闘病するのぶ代と介護する砂川の日々を記した『カミさんはドラえもん』を双葉社から上梓した。2013年に、砂川も初期の胃癌を切除[5]したが抗がん剤治療は行わなかったと公表した[6]。
来歴・人物