砂塚 秀夫(すなづか ひでお[1]1932年〈昭和7年〉8月7日 - )は、日本の俳優。静岡県熱海市出身。旧芸名は砂塚 英夫。趣味は乗馬、特技は日本舞踊。 1952年、県立熱海高校から日本大学芸術学部演劇学科に入学。歌舞伎研究会に入り歌舞伎の主役を務めるなどし、同時に俳優の森繁久弥や舞踏の花柳寿楽らに師事する。大学卒業後、劇団民藝の研究所を経て、1958年に俳優座養成所の第10期生となる。養成所卒業直前に岡本喜八監督に指名され、1961年に『顔役暁に死す』でデビュー[2]。 歌舞伎を研究したこともあり、独特なセリフ廻しの味のある演技で三枚目から小悪党的な役柄まで存在感のある脇役として映画、テレビドラマで活躍する。特に岡本喜八監督作品の常連として、なくてはならない存在であった[2]。なお1973年には、自身の企画・製作・主演で映画『毘沙門天慕情』を東宝系で公開した。 1999年以降の動静は不明であったが[3]、2007年に日刊ゲンダイが取材したところ熱海に帰郷し夫婦で暮らしていたという[4]。
来歴・人物
出演
映画
顔役暁に死す(1961年4月10日、東宝)
地獄の饗宴(1961年9月29日、東京映画)
どぶ鼠作戦(1962年6月1日、東宝)
ギャング対Gメン(1962年11月2日、東映)
月給泥棒(1962年12月8日、東宝)
太平洋の翼(1963年1月3日、東宝) - 小林一飛曹[5]
戦国野郎(1963年3月24日、東宝)
大盗賊(1963年10月26日、東宝)
江分利満氏の優雅な生活(1963年11月16日、東宝)
関の弥太っぺ(1963年11月20日、東映)
男嫌い (1964年、東宝)
続・若い季節(1964年3月20日、東宝)
くたばれ! 社用族(1964年4月4日、東京映画)
ああ爆弾(1964年4月18日、東宝)
大殺陣(1964年6月3日、東映)
血とダイヤモンド(1964年7月1日、東宝=宝塚映画)
いれずみ突撃隊(1964年10月21日、東映)
博徒対テキ屋(1964年12月24日、東映)
明日は咲こう花咲こう(1965年8月14日、日活)
網走番外地シリーズ(東映)
網走番外地 望郷篇(1965年10月31日)
網走番外地 北海篇(1965年12月31日)
網走番外地 大雪原の対決(1966年12月30日)
網走番外地 悪への挑戦(1967年8月12日)
新 網走番外地 流人岬の血斗(1969年8月13日)
望郷と掟(1966年1月15日、松竹)
運が良けりゃ(1966年3月19日、松竹)
太陽に突っ走れ(1966年9月8日) - 山之家花丸
パンチ野郎(1966年9月10日、東宝)
阿片台地 地獄部隊突撃せよ(1966年10月15日、松竹=ゴールデンぷろ)
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年12月17日、東宝) - 仁田[5][1]
日本侠客伝 白刃の盃(1967年1月28日、東映)
殺人狂時代(1967年2月4日、東宝)
春日和(1967年、松竹)
決着(1967年5月20日、東映)
青春太郎(1967年10月18日、東京映画)
カモとねぎ(1968年3月16日、東宝)
続決着(1968年3月30日、東映)
霧のバラード (1969年、松竹)
ごろつき部隊(1969年9月19日、東映)
赤毛(1969年10月10日、東宝=三船プロ)
日本暗殺秘録(1969年10月15日、東映)
大日本スリ集団(1969年11月22日、東宝)
昭和残侠伝 人斬り唐獅子(1969年11月28日、東映)
座頭市と用心棒(1970年1月15日、大映=勝プロ)
日本ダービー 勝負(1970年5月13日、東映)
喜劇 負けてたまるか!(1970年6月13日、東宝=渡辺プロ)
怪談昇り竜(1970年6月20日、日活)