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石野卓球(2011年)
基本情報
出生名石野 文敏(いしの ふみとし)
別名クリ坊
生誕 (1967-12-26) 1967年12月26日(56歳)
出身地 日本 静岡県静岡市
学歴静岡学園高校
ジャンルテクノ
職業ミュージシャン
シンガーソングDJ
歌手
音楽プロデューサー
担当楽器ボーカル
サンプラー
シンセサイザー
活動期間1985年 - 1989年 (人生)
1989年 -(電気グルーヴ)
1993年 -(ソロ)
レーベルキューンレコード
事務所ソニー・ミュージックアーティスツ( - 2019年[1])
→ macht inc. (2019年 - )
共同作業者電気グルーヴ
公式サイト ⇒WIRE12
石野 卓球(いしの たっきゅう、1967年12月26日 - )は、日本のテクノミュージシャン、シンガーソングDJ、グルーヴ歌手、音楽プロデューサー。本名は石野 文敏(いしの ふみとし)。愛称は「クリ坊」、「フミトシ」、「卓球さん」。 静岡県静岡市(現:同市駿河区)生まれ。小学生の時、縁日で祖母に買ってもらったイエロー・マジック・オーケストラのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に衝撃を受け、あまりに毎日聴きすぎたため母親から『イエローマジック禁止令』を出されてカセットテープを隠されてしまったほど。中学生時代にクラフトワークやニュー・オーダー等の他、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのようなアヴァンギャルドでコアなノイズ等にも傾倒し始め、挙句には勉強部屋で電気ノコギリ
略歴
静岡学園高校時代、ピエール瀧ら友人数人とインディーズのテクノユニット『人生(ZIN-SAY!)』を結成。その後、ナゴムレコードを主宰するケラ(現・ケラリーノ・サンドロヴィッチ)から「レコード出さない? ナゴムから出さないでどこで出す!?」と声をかけられ、石野の勉強部屋で自宅録音されたデモテープが、そのままナゴムから1stソノシート「9 TUNES FOR MIRAI」として発売されることをきっかけに上京する。
小学生感覚の下品な歌詞と安っぽいシンセサウンドが特徴的で、中には奇声だけで曲にすらなってないパフォーマンス的なものまでレパートリーにあった。曲の長さも短いものが多く、数秒で終わるような極端に短いものもある。『人生』のメンバーは奇抜なメイクをしており、石野は白塗りに目が赤と青の独特なメイクで、時に怪しいピエロ風、時にカッターシャツにネクタイ、時に大ファンである鬼太郎ファッションに身を包んでいた。
電気グルーヴを結成する以前には、エロ本の編集者になりたいと思っていたことをインタビューでも語っている[4]。ちなみにエロ本で活躍していた編集者の青山正明とは『Quick Japan』誌上でテクノ対談を行ったこともある[5]。
インディーズブームに上手く乗っかり、レコードは作品を出す度にインディーズ・ベスト10にランクインする程の人気者になると同時に、ナゴム人気にも貢献する。その後、メンバー・おばば(EX分度器)の脱退に伴い、1989年4月26日のライブを最後に『人生』を解散する。『人生』解散後、1989年4月27日にテクノバンドの電気グルーヴをデニーズ西新宿店で結成。数回のライブとインディーズからのCDリリースを経た後、ソニーレコードのTrefortレーベル(キューンレコードの前身)から声がかかり、メジャーデビューを果たす。
デビュー後から数年は、テクノユニットというよりもラップユニットとしての側面が強かった。しかし、電気グルーヴはあくまでヒップホップではなくエレクトロニックミュージックを身上としており、ラップはボーカルスタイルの方法論として採り入れていたに過ぎなかった。
ソロ活動も盛んであり、欧州を中心に海外活動を行っている。1994年にNINJAHEAD名義でリリースした「PULSEMAN VS SINEMAN」がクラブヒットを博し、数々のコンピレーションアルバムに収録された。1998年、ベルリンで行われた世界最大のテクノフェスティバルであるラブパレードのFinal Gatheringにおいて100万人の聴衆の前でプレイしている。
日本においては日本最大の屋内レイヴイベント「WIRE(ワイヤー)」を行い、レコードレーベルLoopaおよびplatikを主宰し、月に1度のレキュラーパーティーとして2002年より東京・円山町にあるクラブ「WOMB」にて「STERNE(シュテルネ)」(ドイツ語で「星」)を、2009年5月より京都の四条河原町付近にあるクラブ「世界WORLD」にて「SPRUNG(シュプルング)」(ドイツ語で「跳躍」)を開催している。
1990年代後期より東京都内某所にプライベートスタジオ「montag」を構え、ここを拠点に活動を行っている。
活動の本体である電気グルーヴやソロ名義でのリリースに加え、変名での活動や、他のミュージシャンとのコラボレートによる連名もしくはユニット名義でのリリースが多いのも特徴である。具体的な変名としては、662's、DOVE LOVES DUB、Jamaican Zamuirai、NINJAHEAD、MICKIEE、YAKYUU ISHIDA、Ginger Headsなど。コラボレートしたミュージシャンとしては、ウェストバム、マイク・ヴァン・ダイク、フランク・ムラー、小山田圭吾、岡村靖幸、砂原良徳、川辺ヒロシ、篠原ともえ、スチャダラパー、七尾旅人、AFRA & INCREDIBLE BEATBOX BANDなどが挙げられる。