石見神楽(いわみかぐら)は、日本の神楽の様式のひとつ。島根県西部(石見地方)と広島県北西部(安芸地方北部)において伝統芸能として受け継がれている。日本神話などを題材とし、演劇の要素を持つ。 神社での石見神楽奉納の様子
目次
1 起源と伝播
2 特徴
2.1 神楽団体
2.2 奏楽
2.3 調子
2.4 演舞
3 主な演目
3.1 主な創作演目
4 定期公演
5 主な神楽団体
5.1 島根県
5.2 広島県
5.3 他都道府県
6 参考文献
7 脚注・出典
8 関連項目
9 外部リンク
起源と伝播[1]をルーツとし、出雲流神楽(佐陀神能)・能・狂言・歌舞伎などが影響を与えて演劇性を増し、現在の石見神楽が形成されたとされる[2]。
その後広島県北西部へと伝わり、各々の地方において独自の変化を遂げている。現在では、広島県北西部での神楽を『芸北神楽』『ひろしま安芸高田神楽』と呼んで区別する場合もある。また戦後、野村砂男
によって北九州に伝えられた石見神楽は北九州地域の気質に合う形に変化した『折尾神楽』となり地域の郷土芸能として定着している[3]。1979年、前述の大元神楽が国の重要無形民俗文化財に指定されたほか、各県各地多くの神楽が県または市町村の無形民俗文化財に指定されている[4]。2017年には高円宮殿下記念地域伝統芸能大賞を受賞[5]。2019年5月20日には、石見神楽(および15の構成文化財[6])が日本遺産に認定された[7]。
特徴 神楽を観る子供たち(演目:恵比須)
七座(神楽面なしで舞う、清めや祓いの採物舞)と神能(神話劇、能舞)とが整然と分かれず、演劇性・エンターテインメント性を強めた大衆的な芸能として発展している。一般的な神楽のイメージとは一線を画した「軽快かつ激しい囃子と舞い」が特徴で、盛んな石見地方・ 広島県北西部では子供から高齢者にまで幅広く人気がある。
石見神楽はもともと、収穫期に自然や神へ五穀豊穣を感謝する神事として、氏神社において夜を徹して朝まで奉納されるものだったが、現在はこの奉納神楽に加え、地元ほか各地で行われる定期上演、競技会(競演大会)、祭りや民間各種イベントなどでも披露されている。各種競技大会や観光向け定期公演などを除けば無料で観られる場合が大半であり、観覧制限もないため、石見神楽を観られる機会は年中を通して非常に多くなっている。
また、島根県立しまね海洋館アクアス(浜田市/江津市)、神楽の里・舞乃市(江津市跡地町)[8]、温泉テーマパーク「神楽門前湯治村」(広島県安芸高田市)、国営備北丘陵公園(同県庄原市)など、神社以外にも神楽専用の舞台を常設している施設もある。2019年4月には、当該地域外では初となる常設の定期公演施設「石見神楽なにわ館」(大阪・難波)がオープンしている[9]。
近年は全国各地での上演機会も増え、ヨーロッパやアジア、中東などに遠征しての外国公演も行なわれている。以上から、当該地域の神楽は地元の主要観光資源としての様相も呈してきている[10]。 神楽団体は石見地方および広島県北西部で各々100以上に及び[11]、その地域や団体毎に様々な特徴がある。 大正以前は、各地域の神職または氏子が奉納のために集まって団体を形成していた。20世紀後半からは「同好会・保存会」として結成された団体や、島根県外の有志で発足した団体も増加している。このため氏子として地元の団体へ弟子入りせず、好みの団体へ加入するケースが主流となっている[12]。子供神楽も盛んであり、石見神楽の伝承に力が注がれている。 奉納先からの奉納金、観客からの花代(祝儀)、寄付等を収入として活動経費に利用している。石見神楽を興行化した団体は存在せず、すべての所属者は他に仕事等を持っている。 奏楽は、大太鼓・締太鼓・手打鉦(銅拍子、チャッパ)・横笛の四者で構成される。
神楽団体
奏楽