石田祐康
[Wikipedia|▼Menu]

いしだ ひろやす石田 祐康
プロフィール
生年月日 (1988-07-03)
1988年7月3日(35歳)
出身地 日本愛知県知多郡美浜町
出身校愛知県立旭丘高等学校美術科
京都精華大学マンガ学部アニメーション科
職業

アニメーター

キャラクターデザイナー

アニメ演出家

アニメ監督

所属スタジオコロリド
活動期間2009年 -
ジャンルアニメーション
代表作映画
ペンギン・ハイウェイ
雨を告げる漂流団地
受賞日本アカデミー賞
優秀アニメーション作品賞
2018年『ペンギン・ハイウェイ』
アニメーター: テンプレート - カテゴリ
テンプレートを表示

石田 祐康(いしだ ひろやす、1988年7月3日 - )は、日本アニメーターキャラクターデザイナーアニメ演出家アニメ監督スタジオコロリド所属[1]
来歴

1988年、愛知県知多郡美浜町に生まれる[1]。実家はミカン農家を営み、漁師宿を移築した築80-90年程度の民家で、海にも比較的近かったが、自身は泳げなかったこともあり、海に対しては「どちらかというと怖い」印象があると述べている[2]。描画自体は幼少期から好んだが、中学生まではサッカー部に所属していた[3]。中学生時代に絵を描くことの楽しさが勝るようになり、アニメも意識して見るようになった[3]

愛知県立旭丘高等学校美術科に入学。この進学は、絵画への関心からだったと述べている[3]。2年生の時からアニメを作り始め、処女作「愛のあいさつ?Greeting of love」を発表[4]。アニメ制作はワークショップ参加がきっかけだった[3]

京都精華大学マンガ学部アニメーション科に進学[5]。2009年11月、大学3年の時に友人5人で共同制作した自主制作作品フミコの告白』が第14回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞[6]など数々の賞を受賞し、注目を集める[注 1][7]

2011年に大学の卒業制作として発表した『rain town』が第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞[8]などを受賞し、大学生にしてアニメーションの世界でその名を広く知られるようになった[5]

大学卒業後は、研究生として大学に1年間在籍する道を選ぶ[5]。その間に、大学の恩師である杉井ギサブローの紹介で、アニメーションの制作会社でアルバイトすることになり、映画『グスコーブドリの伝記』の制作に参加[5]。そこで初めてプロの現場に接する。

2011年、新設されたスタジオコロリドに参加[9]。就職先を迷っていた時にクリエイターを主体としたスタジオ運営を目指していたコロリドの宇田英男代表から連絡があり[注 2]、アシスタントとしてではなく監督兼アニメーターとしてオリジナル作品の制作に集中できる環境に魅力を感じて入社を決めたという[5]

2013年、25歳の時に初の商業用劇場作品となる『陽なたのアオシグレ』を監督[10]。同作は第17回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で審査委員会推薦作品に選ばれた[11]

2018年、『ペンギン・ハイウェイ』で初の長編劇場アニメの監督を務めた[1]森見登美彦の小説をアニメ化することを決めたのは石田自身だった[9]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef