いしだ のぶゆき
石田 信之
本名石田 信之
別名義石田 新
石田 延之
生年月日 (1950-08-30) 1950年8月30日
没年月日 (2019-06-13) 2019年6月13日(68歳没)
出生地 日本・東京都
出身地 日本・秋田県北秋田郡森吉町(現・北秋田市)
死没地 日本・神奈川県川崎市
身長172cm
血液型B型
職業俳優
歌手
ジャンル映画
テレビ
オリジナルビデオ
舞台
活動期間1969年 - 2019年
配偶者あり
事務所アイ コンティネンス
主な作品
映画
『古都』
『女王蜂』
『草の乱』
『ミラーマンREFLEX』テレビドラマ
『柔道一直線』『ミラーマン』
『新撰組』『賞金稼ぎ』オリジナルビデオ
『極道の門』
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石田 信之(いしだ のぶゆき、1950年8月30日[1][2] - 2019年6月13日[3])は、日本の俳優。本名同じ[1][4][5]。別名義:石田 新(いしだ しん)[2][6]、石田 延之(読みは同じ)。
出生地は東京都[5][7]。秋田県[1][2]北秋田郡森吉町(現・北秋田市)出身[7][8]。ぷろだくしょん森[9]、エヌ・エー・シー[1]、T&T総合企画[2]を経て、アイ コンティネンスに所属していた[10]。身長172cm、体重61kg[11]。血液型はB型[11]。既婚で、一男一女あり[11]。特技は柔道(二段)[7][1][4]。 父親は警察官で、父親の仕事の関係で秋田県に転居し、高校時代まで過ごす[7]。 1968年、演劇の勉強をすべく東宝芸能学校に入り[1][12]、その後東宝演劇部に所属[5][7]。 1970年、TBS系の人気番組『柔道一直線』(TBS)の新レギュラーオーディションに合格しデビュー[7][13]。翌年(1971年)には『ミラーマン』(フジテレビ)の主演・鏡京太郎役に抜擢(ばってき)され、一躍人気者となる[5]。以後、テレビ・映画を中心に出演作多数。 1989年から1993年頃までは芸名を「石田 新」とし、2007年10月、初の著書である自伝『さよならミラーマン』を出版する際に「石田 延之」(いしだ のぶゆき)に改名したが、再び芸名を本名に戻している。 2005年に足を骨折し入院、退院しても仕事ができない期間が8ヶ月続いた。この時間を利用して自伝を執筆した。 2006年公開の映画『ミラーマンREFLEX』(バップ)には、主人公の兄・影山恭太郎役で出演している[14]。 2007年に東京MXテレビでミラーマンの再放送が行われ、人気が再燃、関連イベントなどに出演した。同年8月には三軒茶屋で経営していた小劇場「シアター・スパーク1」を閉じた。 2014年3月13日、大腸がんが発覚。肝臓などに転移する進行がんであり、さらに原発性の胃がんも同時に発症して治療中であることを明らかにした[15][16]。 2015年7月22日、尿管や腹膜などにがんが再発し、医師に余命20か月 - 30か月と宣告されたことを公表[17][16]。その後も治療を繰り返しながらも仕事を続けていた。 2019年6月13日15時47分、大腸がんからの多臓器転移のため、神奈川県川崎市の病院で死去[3][16][18]。68歳没。同年8月3日にお別れの会が東京タワーメディアセンター・スタジオヴィーナスにて催された[19]。
人物
エピソード
デビュー以降しばらくは前髪を伸ばしていたが、『次郎長三国志』(1974年)では、髷(まげ)に合わせるためにスポーツ刈りにしている[20]。
『柔道一直線』当時のプロフィールでは、赤木圭一郎のファンだったことから俳優を目指したと述べており、目標とする俳優として石原裕次郎を挙げている[21]。
『ミラーマン』関連
出演の経緯は、当時の担当マネージャーと『ミラーマン』の代理店である旭通信社(現・ADKホールディングス)に挨拶回りに行った際に、マネージャーが石田のプロフィール宣材を旭通信社に忘れてしまい、宣材を見た『ミラーマン』の番組担当者が主演に抜擢した。同時期、裏番組である『シルバー仮面』への出演依頼も来たが、子供の頃から『ゴジラ』などの特撮映画が好きで、円谷プロにも興味があったことから本作を選んでいる[22][23]。