石田えり
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いしだ えり
石田 えり
本名内田 恵理子
生年月日 (1960-11-09)
1960年11月9日(63歳)
出生地 日本 熊本県八代市
身長162 cm[1]
血液型A型[2]
職業女優
ジャンル映画テレビドラマ演劇
活動期間1976年 -
配偶者芳野藤丸(1985 - 1990年)
事務所トライアングルCプロジェクト
公式サイトeriishida.com
主な作品
テレビドラマ
ウルトラマン80
金曜日の妻たちへ
波の盆
昨日、悲別で
課長サンの厄年』映画
遠雷
嵐が丘
釣りバカ日誌』シリーズ<1 ‐ スペシャル>
華の乱
サッド ヴァケイション
G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ

 受賞
日本アカデミー賞
最優秀助演女優賞
1989年嵐が丘』『華の乱
ダウンタウン・ヒーローズ
1991年『飛ぶ夢をしばらく見ない』『釣りバカ日誌2』優秀主演女優賞
1981年遠雷』新人俳優賞
1981年『遠雷』
その他の賞
報知映画賞
新人賞 1981年 『遠雷』
助演女優賞 1989年ゴールデン・アロー賞
1982年 第20回演劇部門毎日映画コンクール 助演女優賞
1987年 『ちょうちん』ヨコハマ映画祭 優秀助演女優賞
1987年 『ちょうちん』文化庁芸術祭
1988年 第39回映画部門 新人賞芸術選奨新人賞 1989年サウスパシフィック・フィルム・フェスティバル
1989年 ベストアクトレス賞高崎映画祭
最優秀主演女優賞
2008年サッド ヴァケイション

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石田 えり(いしだ えり、1960年11月9日[1][2][3] - )は、日本女優。本名:内田 恵理子(うちだ えりこ)[1][2][3][4][5]

熊本県八代市出身[3]堀越高等学校卒業[1][3]渡辺プロダクショントライアングルCプロジェクト所属。
来歴・人物

二人姉妹の姉[3]。幼いころから歌手に憧れ、中学校3年の1975年5月指揮者・チャーリー石黒のオーディションに合格[3]。同年に上京し、石黒の母の家に下宿して、チャーリー石黒音楽専門教室で歌を習う[3]

高校に入学した1976年から1978年まで東京音楽学院で、ダンス、台詞、演技のレッスンを受ける[3]。その間の1976年10月から翌年3月まで『スターチャレンジ!!』(NET)のアシスタントを務め、芸能界デビュー[3][6]。芸名はチャーリー石黒の母が付けたもので、石田の石の字は石黒の名からとったものとされている[7]

1978年TBS刑事犬カール』に顔を出したのち、バラエティ番組『笑って!笑って!!60分』の中のコーナードラマ『哀愁学園』に準レギュラーで出演[3]。同年、映画翼は心につけて』のオーディションに合格し、骨肉腫に冒されたヒロイン鈴木亜里を演じ、スクリーンデビュー[3]

1979年に高校を卒業したのち、横浜を舞台にした青春テレビドラマ体験時代』にレギュラー出演[3]。そのほか、『家族サーカス』、『たとえば、愛』、『ウルトラマン80』などのテレビドラマで活躍[3]。『80』ではUGMの城野エミ隊員を演じるが、殉職する形で途中降板した。これは、「ウルトラシリーズに最後まで出演した女優は大成しない」というジンクスを聞いた石田が「降板させてほしい」と自ら申し出て了承されたことによるものだった[8]。最終回の際には、「アンドロイド・エミ」として出演しているが、自身の都合で降板したにも関わらず、ふたたび呼んでもらえたことがとても嬉しかったという[8]

1981年、『遠雷』で、主人公・永島敏行の妻にふんし、豊満な肉体を披露。この作品で、日本アカデミー賞の主演女優賞と新人女優賞を受賞する[3]

テレビでは、1983年金曜日の妻たちへ』で竜雷太の後妻役、1984年には『昨日、悲別で』で北海道から上京してダンサーを目指しながらも挫折していく娘役など、印象的な役柄を演じた[3]

1988年より『釣りバカ日誌』シリーズにおいて、主人公・浜ちゃん(西田敏行)の妻・みち子さん役を演じる[3]。しかし、1994年の第7作『釣りバカ日誌スペシャル』を最後に降板し、後任は浅田美代子が務めた[3]

1993年には、ヘアヌード写真集『罪』を発売[3]ヘルムート・ニュートンが撮影を務め、SM嬢を意識したコスチュームを披露。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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