石狩沼田駅
駅舎(2004年6月)
いしかりぬまた
Ishikari-Numata
◄北秩父別 (3.2 km)
所在地北海道雨竜郡沼田町北1条3丁目.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度48分36.18秒 東経141度56分3.22秒 / 北緯43.8100500度 東経141.9342278度 / 43.8100500; 141.9342278
石狩沼田駅
いしかりぬまた
Ishikari-Numata
所属事業者北海道旅客鉄道(JR北海道)
日本国有鉄道(国鉄)
電報略号マタ
駅構造地上駅
開業年月日留萌本線-
1910年(明治43年)11月23日
札沼線-
1931年(昭和6年)10月10日[2]
廃止年月日留萌本線-
2023年(令和5年)4月1日(真布方面)
札沼線-
1972年(昭和47年)6月19日[2]
乗入路線 2 路線
所属路線留萌本線
キロ程14.4 km(深川起点)
(3.4 km) 真布►
所属路線札沼線
キロ程111.4 km(桑園起点)
◄五ヶ山 (2.8 km)
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石狩沼田駅(いしかりぬまたえき)は、北海道雨竜郡沼田町北1条3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅である。電報略号はマタ。事務管理コードは▲121503[3]。留萌本線の終着駅。かつては札沼線の終着駅でもあった。 駅設置時点での自治体名は上北竜村であったが、当駅が当地の開拓に関わった小樽の米穀商沼田喜三郎所有の農場内に設置されたことから「沼田」と命名され、1924年(大正13年)3月31日には群馬県の上越線に同名の駅ができたことから翌月に旧国名の「石狩」を冠した[9]。また、2022年(令和4年)3月12日のダイヤ改正より石狩太美駅・石狩当別駅から「石狩」の冠名が外されて以降[JR北 2]、「石狩」を冠する唯一の駅となった。 なお、自治体名が「沼田」となったのは1922年(大正11年)であり、駅名が地名となった例のひとつである。 単式ホーム1面1線を有する地上駅。1994年11月までは単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する行き違い可能な構内であった。互いのホームは、東側に跨線橋が設置されていた期間を除いて西側を結んだ構内踏切で連絡していた。 札沼線が接続する前の昭和初期までは、島式ホームの駅裏側3番線は側線扱い(実態は相対式ホーム2面2線)、その他に駅舎横留萌側の貨物ホームへ2本の引込線、駅裏側には1本の留置線とそれから深川側に分岐する側線を有していた[10]。 札沼線が接続し、不要不急線として一旦廃止されるまでは、駅舎前の単式ホーム1番線が札沼線発着、島式ホーム2番線及び3番線が留萠線に設定されていた。その他に駅舎横留萌側の貨物ホームへ3本の引込線、駅裏側には3本の留置線または機回し用の側線とそれから深川側に分岐する側線を有し、また転車台を備えていた[11]。
歴史1977年(昭和52年)頃の石狩沼田駅周辺。札沼線は既に廃止されているが、2面3線のホームや貨物用側線等が確認できる
1910年(明治43年)11月23日:鉄道院留萠線深川駅 - 留萠駅間開通に伴い沼田駅(ぬまたえき)として開業[4]。一般駅。[1]
1924年(大正13年)4月25日:石狩沼田駅に駅名改称[5]。
同年3月31日に群馬県の上越南線(→上越線)沼田駅が開業したため。
1931年(昭和6年)10月10日:札沼北線中徳富駅(初代、のちの新十津川駅)- 当駅間が開業[2]。
1935年(昭和10年)10月3日:札沼北線が札沼線に改称[2]。
1944年(昭和19年)7月21日:太平洋戦争のため不要不急線として札沼線の石狩追分駅 - 当駅間休止[2]。先行休止区間、同時に休止となった区間と合わせて石狩当別駅(現:当別駅)- 当駅間が休止。
1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1956年(昭和31年)11月16日:札沼線雨竜駅 - 当駅間の営業を再開し、全線再開[2]。
1972年(昭和47年)
6月19日:札沼線新十津川駅 - 当駅間廃止[2]。
11月:駅舎改築。跨線橋設置。
1982年(昭和57年)11月15日:貨物扱い廃止[1]。
1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[1]。出改札要員廃止(運転要員はそのまま配置)[6][7]。窓口業務を簡易委託化。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR北海道に継承[5]。
1988年(昭和63年)6月:窓口業務を再び直営化。
1994年(平成6年)12月:交換設備撤去。
1997年(平成9年)4月1日:線路名を留萌本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1998年(平成10年)5月:再び簡易委託化。
2023年(令和5年)4月1日:留萌本線当駅 - 留萌駅間の廃止に伴い終着駅となる[8][JR北 1]。
駅名の由来
駅構造