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石狩月形駅
駅舎(2018年5月)
いしかりつきがた
Ishikari-Tsukigata
◄知来乙 (2.1km) (4.7km) 豊ヶ岡►
所在地北海道樺戸郡月形町字月形北緯43度20分27.03秒
東経141度40分12.7秒
石狩月形駅(いしかりつきがたえき)は、北海道樺戸郡月形町字月形にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅(廃駅)である。札沼線の区間廃止に伴い2020年(令和2年)5月7日に廃駅となった。目次 月形町の中心駅であった。当初から交換駅として設置され、石狩当別駅 - 当駅間の区間列車も設定されていた。札沼線の非電化区間では唯一の交換可能駅であると同時に、石狩当別駅方面からの列車は当駅が最後の交換駅となっており、当駅から終点の新十津川駅までは1閉塞であるため、1列車しか入れなかった。 駅の所在する地名に旧国名の石狩を冠する。地名は樺戸集治監初代典獄(所長)の月形潔の姓に由来し、旧国名を冠したのは開業時すでに同音の駅(月潟駅)が存在していたためである[7]。 島式ホーム1面2線を有していた地上駅。1976年時点では、ホームの駅舎側にさらに貨物積卸線が1本敷かれており、そこから駅表の札幌側にある土場へ斜めに1線引込まれていた。貨物の取扱が廃止されてからは、かつての積卸線が保線車用側線として残されていた。 新十津川方がスタフ閉塞式[新聞 4]であり、運転取り扱い業務のため、終日社員配置駅となっていた(石狩当別駅管理だった)。新十津川方へは、当駅で運転士がスタフを受け取らないと、列車が進めない形式がとられていた[新聞 4]。出札窓口もあった。JR北海道の社員配置駅・業務委託駅で唯一みどりの窓口がなかった。改札業務はしなかった(集札は車内で行っていた)。2019年11月現在、発売している切符は数種類の常備券のみで、これ以外の切符は補充券を含め発売していなかった。 駅員は、石狩当別駅の駅員が交代で当駅で業務を行う形となっていた[新聞 5]。
1 概要
2 歴史
2.1 駅名の由来
3 駅構造
4 利用状況
5 駅周辺
6 今後の予定
7 隣の駅
8 脚注
8.1 出典
8.2 報道発表資料
8.3 新聞記事
9 関連項目
10 外部リンク
概要
歴史 1976年の石狩月形駅と周囲約750m範囲。左下が札幌方面。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)
1935年(昭和10年)10月3日:国有鉄道札沼線 石狩当別駅 - 浦臼駅間の開通[報道 2]に伴い、同線の駅として開業。一般駅。
1943年(昭和18年)10月1日:第二次世界大戦の激化に伴い、札沼線の当駅 - 石狩追分駅間が不要不急線に指定され、営業休止[1]。終着駅となる。
1944年(昭和19年)7月21日:札沼線の石狩当別駅 - 当駅間が不要不急線に指定され、営業休止[2]。それに伴い、当駅も営業休止。
1946年(昭和21年)12月10日:札沼線の石狩当別駅 - 浦臼駅間が営業再開[3]。それに伴い、当駅も営業再開。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
1979年(昭和54年)2月1日:貨物扱い廃止。
1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止。
1986年(昭和61年)11月1日:出改札要員の配置を廃止。以降は運転要員が出札業務を兼務する。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[4]。
1991年(平成3年)3月16日:札沼線に「学園都市線」の愛称を設定[報道 2][報道 3][5]。
1996年(平成8年)3月16日:札沼線(学園都市線)のうち、当駅を含む石狩当別駅 - 新十津川駅間でワンマン運転開始[5]。
2000年(平成12年):札沼線(学園都市線)の桑園駅 - 当駅間に自動進路制御装置 (PRC) を導入[6]。
2020年(令和2年)
4月17日:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する緊急事態宣言により、4月18日から5月6日まで全列車運休措置。実質的な最終営業日となる[報道 4]。
5月7日:北海道医療大学駅 - 新十津川駅間の廃止と共に廃駅となる[報道 1][新聞 1][新聞 2][新聞 3]。
駅名の由来
駅構造