石油産業
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世界の石油埋蔵量、2013年。世界の石油会社上位50社の石油および天然ガス埋蔵量(英語版)。非公開会社については一括している(中央上から左の灰色)。いわゆる「スーパーメジャー」が生産する石油は、世界の総供給量の15パーセント未満しか占めていない。世界の石油と天然ガスの埋蔵量の80%以上は、国営石油会社の管理下にある。世界最大の石油会社20社のうち、15社は国有企業である。

石油産業(せきゆさんぎょう。petroleum industry、oil industry、oil patch)は、石油製品の探査(英語版)、採掘(英語版)、精製、輸送(英語版)(多くの場合、石油タンカーパイプラインが使われる)、販売の世界的な展開が含まれる。量的に最大を占めるのは重油ガソリンである。石油は、医薬品溶剤肥料農薬、合成香料、プラスチックなど、多くの石油化学製品(Petrochemical)の原料でもある。石油は法外な金銭的価値から「黒い黄金(ブラックゴールド)」として知られるようになった。石油産業は通常、上流(アップストリーム)、中流(ミッドストリーム)、下流(ダウンストリーム)の3つに大きく分けられる。上流には主に掘削と生産が含まれる。
概略

石油は多くの産業にとって必要不可欠であり、現在の産業文明を維持するために必要であり、多くの国にとって重大な関心事となっている。

依然として石油は世界のエネルギー消費の大きな部分を占めており、地域差はあるが、最も比率の低いヨーロッパアジアでも32%、最も高い中東では53%を占める。その他の地域での比率は以下の通り。南アメリカおよび中央アメリカ(44%)、アフリカ(41%)、北アメリカ(40%)。

全世界では一年間で360億バレル(5.8km3)の石油を消費した [1]。依然、先進国が最大の消費者である。米国は2015年に生産された石油の18%を消費した[2]

生産、流通、精製、小売を含めた石油産業は、金額的には世界最大の産業である。

米国など各国政府は、石油会社に多額の補助金(Energy subsidy)を支出しており、石油の探査と採掘のほぼすべての段階において(油田の探査・掘削装備のリース費用などを含むや掘削装置の費用を含め)、大幅な課税軽減が行われている [3]

近年、原油増進回収法(英語版)、特に多段階掘削と水圧破砕法(フラッキング)が発達したことで、この重要かつ議論を呼びがちな新技術が石油産業の最前線に位置している[4]
歴史1926年、アゼルバイジャンバクー油田
先史時代スロバキア、コルサ(Kor?a)の天然石油泉。

石油は、岩層に見られる天然の液体である。これは、さまざまな分子量の炭化水素と他の有機化合物の複雑な混合物で構成されている。石油は、主に炭素を豊富に含む古代のプランクトンの残骸が、何億年にもわたって地球の地殻内の熱と圧力にさらされたことで形成されると一般に認められている。時間が経つにつれて、腐敗した残留物は泥とシルト(微砂)の層で覆われ、地殻中にさらに沈み、高温層と加圧層の間に保存され、徐々に石油貯留層(英語版)に変化した[5]
初期の歴史

精製されていない状態の石油は、5000年以上にわたって人間によって利用されてきた。石油は一般に、人類史の初期から、火を燃やし続ける燃料として、また、戦争のために使用されてきた。

しかし歴史を振り返っても、世界経済にとっての石油の重要性はなかなか上がらなかった。

19世紀には鯨油が照明に使用され、20世紀になっても依然として木材や石炭が暖房や調理に使用されていた。産業革命はエネルギー需要を増大させたが、これは当初、主に石炭によって、そして鯨油を含む他の供給源から満たされていた。

原油から灯油を抽出して照明や暖房の燃料として利用できることが発見されたことで、石油の需要は大幅に増加し、20世紀初頭までに世界市場で取引される最大の商品になった[6]
近代史ボリスラフ(英語版)の油井ガリツィアの油井油田からの世界の原油生産(カナダの重質オイルサンドなどの露天掘り油を除く)、1930年から2012年@media all and (max-width:720px){body.skin-minerva .mw-parser-output div.mw-graph{min-width:auto!important;max-width:100%;overflow-x:auto;overflow-y:visible}}.mw-parser-output .mw-graph-img{width:inherit;height:inherit}.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。
上位産油国の産油量の推移[7]

ロシア帝国は1825年に3,500トンの石油を生産し、19世紀半ばまでにその生産量を2倍にした[8]。1846年に現在のアゼルバイジャンにあたる地域で石油掘削が始まり、その後、バクーから伸びる2つの大きなパイプラインが建設された:全長833kmのカスピ海から黒海バトゥミ港に石油を輸送するためパイプライン(バクー-バトゥミパイプライン)は1906年に完成した。もうひとつは全長162kmでチェチェンからカスピ海へのパイプラインである。アゼルバイジャンでの石油産業の始まりはアルメニア人によるものであり、最初に石油を採掘したのはイワン・ミルゾエフ(英語版)だった。彼はバクー石油産業の父の一人である[9] [10]

20世紀が始まった時、ロシア帝国の石油生産量は、ほぼ完全にカスピ海のアブシェロン半島からのものであり、世界の生産量の半分を占め、国際市場を支配していた[11]。1884年には200近くの小規模製油所がバクーの郊外で操業していた[12]。これら初期の開発の副作用として、アプシェロン半島は世界的な「最古の石油汚染と環境破壊の遺産」ともなった[13]

1846年、バクー(Bibi-Heybat集落)では、石油探査のため、21メートルの深さまでパーカッション工法で最初の油井が掘削された。

1878年、ルートヴィヒ・ノーベル(英語版)とノーベル兄弟産油会社(英語版)は、最初の石油タンカーをカスピ海で就役させ、「石油輸送に革命をもたらした」

1853年にサミュエル・キアー(英語版)はピッツバーグのセブンスアベニューの、グラント・ストリートとの交差点付近にアメリカ初の石油精製所を建てた[14]

イグナツィ・ウカシェヴィチは、1854年から56年にかけて、現在のポーランドのヤスウォ(当時はオーストリアの構成要素であるガリツィア・ロドメリア王国ガリツィア地方)の近くに最初の近代的な石油精製所の1つを建設した[15]。精製燃料の需要が限られていたため、ガリシアの製油所は当初は小規模だった。精製された製品は、イグナツィの灯油ランプに加えて、人工アスファルト、機械油、潤滑油に使用された。灯油ランプの人気が高まるにつれ、この地域では精製産業が成長した。

カナダで最初の商用油井は、1858年に現在のオンタリオ州に位置するオイルスプリングス(英語版)で操業を開始した[16]。ビジネスマンのジェームズ・ミラー・ウィリアムズ(英語版)は、1855年から1858年の間にいくつかの油田を掘って、地下4メートルの深さから豊富な石油を掘り当てた[17] [18]。ウィリアムズは1860年までに150万リットルの原油を採掘し、その多くを灯油ランプ用に精製した。


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