この項目では、広域かつ連携した工業地帯について説明しています。
旧社会主義国で企業連携を意味したコンビナートという用語については「コンビナート (旧社会主義国の経営形態)」をご覧ください。
山口県・徳山の工場群
石油コンビナート[1](せきゆコンビナート)とは、石油関連企業相互の生産性向上のために、原料・燃料・工場施設を計画的・有機的に結び付けて配置された工業地帯。ソビエト連邦が工業化のため形成した「コンビナート」(ロシア語:комбинат [k?m???b???nat]
( 音声ファイル))をモデルとして、日本では第二次世界大戦後、石油化学工業の発展により各地に整備された。石油化学コンビナートとも呼ばれる。この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
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日本のコンビナートは太平洋ベルトを中心に立地しており、産業発展の礎になってきた[2]。日本では、製油所、エチレンプラント、誘導品工場の3種類が揃ったコンビナート13箇所、これに三菱化学の四日市(三重県)、三井化学の岩国大竹(山口県)を加えた15箇所が石油化学コンビナートといわれている[3]。
日本のコンビナートは高度経済成長期にできたものがほとんどであり、最近の海外の超大規模コンビナートに比べて遜色のない採算ラインで操業できるかどうかという課題を常に抱えている。
先述のとおり、日本のコンビナートは、非常に多くの企業を擁している。さらに特徴的なのが、あるコンビナートではエチレンプラントで基礎原料を供給している企業が、他のコンビナートでは他企業から基礎原料を得て誘導品を製造している、という現状である。場合によっては、エチレンプラントが不採算だからといって、勝手にエチレンプラントを停止させることができず、事前にコンビナート内、また、コンビナート間で利害の調整を図り、結果としてそのプラントが作っていたものを他から輸送する、ということをしなければいけなくなることもある。これにどのように合理化的に対応するかという課題がある。
また、国外の一部のコンビナートと日本のコンビナートの違いとして、エチレンプラントに供給する原料があげられる。日本ではナフサがほとんどであるが、国外ではエタンの比率が多い、もしくはどれかへの偏りがないように調達している。エタンは石油を採掘する際の副産物であり、中東などでは油田からパイプラインで供給することができる。その場合には、ナフサのようにプラント内でわざわざ作る必要がないので、製品の価格も安く抑えることができる。
国外では、超大規模なコンプレックスが一つの企業(化学メーカーだったり石油メジャーだったりするが)で運営されていることが多い。また、産油国自身が油田、製油所、石化プラントを丸ごと敷地内におき、運営している、という例もある。この動きを受けて日本では、関係企業間の利害の調整を図り、国外の石化プラントに匹敵するスケールメリットを創出するため、石化コンビナートに関係する主要な企業が協力して、2000年5月に「石油コンビナート高度統合運営技術研究組合 (RING)」を設立して、コンビナートの高度統合運営技術開発等に関する取り組みを行っている。日本の石油コンビナートは今岐路にあると言える。
日本における通常のコンビナートの基本構成は、原油を受け入れる施設、原油を蒸留する事による沸点の差でナフサやガソリンなどを取り出す製油所、ナフサをさらに細かく成分分けするエチレンプラント(ここの生産能力がそのまま石油コンビナートの能力と見なされる事が多い)、分けられた成分(誘導品と呼ぶ)を使用してそれぞれにあった製品を作る多くの各種工場に分かれる。それぞれは近距離に集中して配置され、パイプで結ばれ、成分を供給している事が多い。最近では化学メーカーだけでなく、石油メーカー自体が石油コンビナートを持つ形態もある。逆に製油所がない石油コンビナート、合理化などの理由によりエチレンプラントがない石油コンビナートもあり、その形態は非常に多様化している。 日本の石油コンビナートは、戦後復興がある程度実り、成長を図ろうとして、日本の政策が「軽工業から重化学工業への転換」を謳っていた時期に設立された。しかし、日本では当時、一つの企業でコンビナート全体を作るコストに耐える体力がなかったため、多くの企業が参画できるように政府が企業の調整を行ったとされている。この「複数の企業で一つのコンビナート」を形成していることは、企業連携という意味は日本の石油コンビナートのユニークな点であり、他方、これは時には足かせともなった。1956年(昭和31年)、川崎市、四日市市、岩国市、新居浜市の4か所に建設が決定され、それぞれ日本石油化学、三菱油化、三井石油化学工業、住友化学工業が中核業者となった。1958年(昭和33年)には三井化学・岩国が最初に稼働、次いで住友化学・新居浜が稼動した。4か所の中核業者をみてもわかるとおり、エチレンプラントという巨大な設備投資に耐えられるのは旧財閥・コンツェルン系企業であった。高度経済成長を象徴するものの一つであり、中には公害の問題を生じたものもある。誘導品レベルでは1994年(平成6年)前後から業界再編があったが、コンビナートの基幹設備であるエチレンプラントが関わる段階での再編は行われなかったに等しい。2008年(平成20年)あたりからの深刻な不況により化学業界全体が軒並み減益や赤字となっている。そして、中東では産油から汎用樹脂生産までを現地一貫で行う巨大プラントが続々と立ち上がっている。そのうち石化プラントの調達原料は軒並み、ナフサと比べて大幅に安上がりなエタンである。 そして、アメリカにおいて大量に発掘され始めているシェールガスの波もあり、国内のエチレンプラントの廃止を含めた再編がいよいよ本格化し始めている。 ちなみに住友化学は、サウジアラビアのラービグにおいて、アラムコ社との合弁会社「ペトロ・ラービグ」を立ち上げ、原油の採掘、精製、化学プラントの一貫生産設備を建設し、その一部が2009年4月9日、稼動を開始した(住友化学の発表より)。石化プラントの使用する原料はエタンである。 それらの動きを受け、日本のコンビナートにおいていくつかの動きが見られている。これらには国からRINGが補助金を受けて技術開発を実施したRING事業、企業が直接国から補助を受けて実施した事業 市原や袖ヶ浦には石油精製設備では出光興産、コスモ石油、東燃ゼネラル石油、富士石油のプラントが立地する[2]。また、石油化学設備では出光興産のほか、丸善石油化学、京葉エチレン
歴史
高度経済成長期
主要なコンビナート
市原・袖ヶ浦
出光興産コンビナート
【プラントにナフサ他を提供する製油所】出光興産(株)千葉製油所
【中核施設であるエチレンプラントを擁する事業所】出光興産(株)千葉工場
【誘導品工場】千葉フェノール(株)、三井化学(株)千葉工場、(株)プライムポリマー 姉崎工場、PSジャパン(株)市原工場、BASF出光(株)千葉工場、京葉エチレン(株)
丸善石油化学コンビナート
【プラントにナフサ他を提供する製油所】コスモ石油(株)千葉製油所
【中核施設であるエチレンプラントを擁する事業所】 丸善石油化学(株)<コスモ石油(株)[旧:丸善石油]の石油化学部門> 千葉工場、京葉エチレン(株)
【誘導品工場】JSR(株)千葉工場、日本ポリプロ(株)五井工場、京葉エチレン(株)、千葉ブタジエン工業(株)、京葉モノマー(株)、デンカ(株)千葉工場、旭ペンケミカル(株)千葉工場、JNC石油化学(株)本社工場、五井化成(株)本社工場、日立化成(株)五井事業所、宇部丸善ポリエチレン(株)、UBEエラストマー(株)千葉工場、旭硝子(株)千葉工場、KHネオケム(株)千葉工場、東洋スチレン(株)五井工場