石橋貴明
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2021年5月16日、ZOZOマリンスタジアムでの始球式にて
本名同じ
ニックネームタカさん
生年月日 (1961-10-22) 1961年10月22日(62歳)
出身地 日本東京都板橋区成増
血液型A型
身長182 cm
言語日本語
最終学歴帝京高等学校
出身お笑いスター誕生!!
コンビ名とんねるず
グループ名野猿
相方木梨憲武
芸風漫才コント
立ち位置左(たまに右)
事務所アライバル
活動時期1980年 -
同期コロッケ
ブラザートム
現在の代表番組ラジオ
SPORTS BULL presents 石橋貴明のGATE7
スペシャル番組
ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ
2億4千万のものまねメドレーGP
配信
石橋貴明お礼参りTHEWORLD
石橋貴明THE強運マスターズ
過去の代表番組うたばん
イシバシ・レシピ
石橋貴明のたいむとんねる
作品今夜、宇宙の片隅で
メジャーリーグ2
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ
他の活動司会者
俳優
歌手
作詞家
YouTuber
配偶者一般女性(1988年 - 1998年)
鈴木保奈美(1998年 - 2021年)
親族石橋穂乃香(実娘)
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石橋 貴明
YouTube
チャンネル

貴ちゃんねるず

活動期間2020年6月19日 -
ジャンルエンターテインメント
登録者数167万人
総再生回数300,939,325回
事務所(MCNアライバル
笑軍
YouTube Creator Awards

登録者100,000人2020[1][2]
登録者1,000,000人2020[1][3]

チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002024-02-08-00002024年2月8日時点。
テンプレートを表示

石橋 貴明(いしばし たかあき、1961年昭和36年〉10月22日 - )は、日本お笑いタレント歌手1980年木梨憲武とお笑いコンビ「とんねるず」を結成。アライバル所属、兼同社代表取締役社長
概要

趣味: 野球ゴルフ・映画鑑賞・料理競馬
前職はホテルマン。「センチュリーハイアット東京」に勤務。「ホテルオークラ」ではホテルマンの研修時に訪れた経験がある[4][5]
結婚歴は2回で子供は計4人(4人とも女子)。
元モデルである1人目の元妻との間の娘は、女優の石橋穂乃香(旧芸名・穂のか)[6]。2人目の元妻は、女優の鈴木保奈美
略歴

東京都葛飾区の貧困家庭に生まれ、小学一年生の時に父の経営する零細企業「石橋化成」が倒産。板橋区成増へ引越、成増小学校、赤塚第二中学に在籍。以降、風呂無しの小さなアパートで極端な貧乏生活を強いられた。自身が就職後、お金に余裕が出来、近所の風呂付きの部屋へ引っ越す。自身が20歳になる直前に父親が他界[7][8]。したがって、メディアで母子家庭をネタにしていたが、実際になったのはほぼ成人になってからである。

なお、本人曰く小学6年生のときに『アフタヌーンショー』(NETテレビ)の夏休み企画「加藤茶大会」に出たことが初のテレビ出演だという[9]。中学3年生時には『ぎんざNOW!』(TBSテレビ)の「しろうとコメディアン道場」にも出場している[10]

子どもの頃の極貧生活状態はその後改善され、高校生の頃には帝京高校の野球部に所属。喫茶店でインベーダーゲームをやっていたところを同校監督の前田三夫に見つかり、これによって前田から喫茶店とゲームセンターへの立寄禁止処分を受け、野球部のレギュラーも剥奪される。高校3年生の夏の雨の日、監督からの指示であるダッシュ練習をせず、部員全員でサッカーに興じ練習を怠けていた。その時、石橋はゴールキーパーをやっており、監督が入ってきたのを知らず「早く蹴ろよ」と言ってしまい、監督に「お前、何をやってるんだ!」と怒られ、練習を怠けた罰則として次の日からレギュラーの練習メニューから降板。これにより石橋はいわゆる補欠選手に降格となり、試合でもベンチを温める羽目になり「帝京の秘密兵器」と前田に言われ待機していたが、結局試合で起用されず高校野球生活は終わった。以後、前田が名付けた「秘密兵器」ネタは持ちネタとなった[11]

代わりに2学年下(当時1年生)の伊東昭光がベンチ入りすることになった。石橋はこの処分に納得がいかなかったものの、後に伊東の仲裁によって前田と和解した。18歳の時には西武ライオンズの入団テストを受け、一次テストに合格するが二次テストで不合格となってプロ野球入りを断念した[12][13]

高校の同級生でサッカー部所属の木梨憲武と貴明&憲武を結成。所ジョージ司会の『ドバドバ大爆弾』に出場するも、あと一息のところで賞金72万円を獲り逃がす。なお2人ともに高卒であることもネタとなった[注 1]。その後も木梨と共にコンビとして『お笑いスター誕生』など素人参加番組に出演。単身で『TVジョッキー』の「ザ・チャレンジ」にも出演した[14][注 2]

1982年4月、「お笑いスター誕生!!」にて10週勝ち抜きでグランプリを獲得。プロデビュー後2?3年は下積みの日々を過ごしたが1985年頃から売れはじめる。石橋は1987年当時、美空ひばりから「芸能人はね、売れた年から芸能活動をカウントするの。だからあなたたちはまだ2年目」と言われたため、以来芸歴を数えるときに本人は1985年からカウントすることにしている[16]

2005年、『MLB主義』で共演した牛島和彦が監督を務めていた横浜ベイスターズのエグゼクティブ・アドバイザーに就任。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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