石橋凌
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いしばし りょう
石橋 凌
全裸監督』ワールドプレミアにて(2019年7月)
本名いしばし ひでき
石橋 秀樹
生年月日 (1956-07-20) 1956年7月20日(67歳)
出生地 日本福岡県久留米市
身長174 cm[1]
血液型AB型
職業俳優音楽家
活動期間1978年 -
活動内容1978年 - ARBボーカリストとしてレコードデビュー( - 1990年1998年 - 2006年
1985年 - 俳優活動開始
配偶者原田美枝子
著名な家族優河(長女)
石橋静河(次女)
事務所ENTER the DEE
公式サイト石橋凌 オフィシャルサイト
主な作品
映画
ア・ホーマンス
キッズ・リターン
オーディション
BROTHER
自殺サークル
呪怨
MW
マスカレード』シリーズドラマ
武田信玄
あしたがあるから
教師夏休み物語
お金がない!
眠れる森
蘇える金狼
ビギナー
ハルとナツ 届かなかった手紙
相棒
龍馬伝
花咲舞が黙ってない
スモーキング
やんごとなき一族

 受賞
ヨコハマ映画祭
主演男優賞
1990年Aサインデイズ
助演男優賞
1997年キッズ・リターン
『迅雷 組長の身代金』日本映画プロフェッショナル大賞
主演男優賞
1993年月はどっちに出ている
1995年『新・悲しきヒットマン』報知映画賞
助演男優賞
2002年AIKI』『DOGSTAR』高崎映画祭
最優秀助演男優賞
2003年AIKI

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石橋 凌(いしばし りょう、1956年7月20日 - )は、日本音楽家俳優。本名:石橋 秀樹(いしばし ひでき)。血液型はAB型。ENTER the DEE所属で、かつてはアパッチに所属していた。

アメリカの映画俳優組合(SAG)の会員で、アメリカではゴールデン・メディア・グループが代理人となっている。

福岡県久留米市出身。妻は女優の原田美枝子、長女は歌手の優河、次女は石橋静河[2]。娘2人の上に一般人の息子がいる。
略歴

本項は人物、俳優活動、ソロ活動のみ記す。ARBの活動については「ARB (バンド)」を参照

男だけの5人兄弟の五男で、兄に影響されて中学の頃からジョン・レノンビートルズローリング・ストーンズボブ・ディランを愛聴していた。中学1年生で父が肝臓癌で他界し、看護師であった母に女手一つで育てられた(母は102歳まで生きた)。高校2年生で音楽家志望を決意した。父の死について、ソロシングル「カクテル・トゥナイト」に収録された「12の頃」で歌われている。

福岡県立久留米高等学校を卒業後、地元のバンド、アップル・ツリーのボーカリストとしてセミプロ活動を行う。その折、KBCラジオ「歌え!若者」に出演した際に、ディレクターであった岸川均の目に留まり、彼の勧めで1977年、ボーカリストとしてARBのオーディションに参加、加入した。

デビュー時に所属したシンコーミュージックはアイドルグループとして売り出そうとし、ピンク・レディー前座を務めたこともある。1978年10月にシングル「野良犬」でデビューするも、方向性の違いから1年足らずでシンコーミュージックから独立した。

独立したものの、レコードの売れ行きやコンサートの動員に悩んでいた20代半ばに、ドラマーの相原誠とともに赴いたスポーツクラブで、金子正次松田優作に出会う。松田に自身の悩みを相談するなど交流したのち、松田が監督する映画『ア・ホーマンス』に誘われ出演する。それまで演劇経験がほとんどなかった石橋は、松田から厳しい指導を受け、キネマ旬報新人男優賞を受賞し、本格的に映画俳優を志す。大河ドラマ武田信玄』、映画『ボクの女に手を出すな』『Aサインデイズ』などに出演した。

尊敬していた松田優作が病死したことを受け、1990年にARBを解散して音楽活動を封印、俳優業に専念した。

クロッシング・ガード』(1995年)の演技がアメリカで認められた後、1997年にARBを再結成。第4期ARBとして1998年2月にシングル「TOKYO OUTSIDER」で復活。音楽活動と俳優業と両立していたが、2006年3月1日に石橋が脱退を表明。ARBは活動を再度休止した。

石橋自身「追う役より追われる役の方が多かった」と話すほど、かつてはヤクザ役が多かったが、現在は刑事判事など多彩な役柄を演ずる俳優として知られる。1995年よりアメリカ映画俳優組合(SAG)の会員となる。

2006年6月1日に鈍牛倶楽部からスティングカンパニーへ移籍、2008年4月にエイベックスへ移籍。
エピソード

高校卒業後、セミプロとして活動中は様々な
アルバイトを転々としていて、ARB加入前はイタリアンレストランで働いていた。その当時は、コックになることに気持ちが傾いていて、オーディションの話をもらうまではイタリアに留学し、料理修行をする予定であった。それゆえピザは生地から作れるほどの腕前である。

岸川均によると、石橋のボーカリストしての才能は傑出しており、「強靭なバック演奏でも負けない存在感のある声質」「切れ味のあるのびる高音、色気のある中音、響きのある低音をもった素晴らしい才能」であり「バンドやアーティストには干渉しない」自身の主義を曲げても、世に出したいと思い、ARBへのオーディション参加を強く勧めたと言う。後年、石橋は岸川に対して「当時の自分の気持ちは料理に向かっていたので、岸川さんの電話がなかったら、そのまま料理人になっていて、今の自分はない」と感謝の気持ちを伝えており、岸川を大切な恩人の一人を語っている。

が苦手である。

再結成後、石橋がミュージシャンであることを知らなかったスタッフには、ARBが俳優のバンド活動だと勘違いされたこともある。

ARBのライブではスタンドに設置したシンバルを高々と蹴り上げる。

2002年、46歳でシングル「カクテル・トゥナイト」でソロデビューした。ARBとは違い、バラード中心の曲目である。

1988年のNHK大河ドラマ『武田信玄』では、主人公の信玄(演 - 中井貴一)と対立する織田信長を演じたが、その32年後である2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、石橋が信玄を演じている。


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