石川 雅規東京ヤクルトスワローズ #19
2017年6月18日 明治神宮野球場
基本情報
国籍 日本
出身地秋田県秋田市
生年月日 (1980-01-22) 1980年1月22日(44歳)
身長
体重167 cm
73 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2001年 自由獲得枠
初出場2002年4月4日
年俸6750万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
秋田市立秋田商業高等学校
青山学院大学
ヤクルトスワローズ
東京ヤクルトスワローズ (2002 - )
国際大会
代表チーム 日本
五輪2000年
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石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。
大卒のNPBフランチャイズ投手としては史上初の22年連続勝利を達成している[注釈 1][2]。また、投手としては史上初の1年目からの22年連続安打も達成している[注釈 2][3]。 下新城小、 秋田北中卒。秋田市立秋田商業高等学校ではエースとして、第79回全国高等学校野球選手権大会に出場した(石川とバッテリーを組んでいた主将で捕手の太田直は現在、秋田商硬式野球部監督である)。1回戦の対島根県立浜田高等学校戦では、和田毅との投げ合いを制して完投勝利を挙げた。続く2回戦の対沖縄県立浦添商業高等学校戦では完投するも8失点を許し、チームは敗退した。高校時代の同級生にはタイ女子レスリングナショナルチームコーチの秋田谷康二
経歴
プロ入り前
1998年に青山学院大学文学部史学科[4]へ進学。シンカーを習得し、東都大学リーグでは2年からエースとして活躍した。1999年の大学選手権では3試合に完投し、決勝でも早大の先発鎌田祐哉・藤井秀悟と投げ合って優勝[5]。秋の第30回明治神宮野球大会2回戦対創価大戦では延長18回を完投した(引き分け)[6]。大学3年生で2000年シドニーオリンピックに出場し、前年に行われた予選では古田敦也とバッテリーを組んだ。大学時代の通算記録は、51試合23勝8敗、防御率1.63、284奪三振。最高殊勲選手1回(2年生春)、最優秀投手3回(2年生春・秋、4年生春)、ベストナイン3回(2年生春・秋、4年生春)を受賞した。
2001年ドラフト会議では、自由獲得枠でヤクルトスワローズに入団した。ドラフト会議の前段階では、当初は巨人が石川を獲得する方針で、ほぼ内定していた。しかし、同年夏の高校野球・第83回全国高等学校野球選手権大会では、日南学園高校の寺原隼人が活躍し、自由獲得枠の対象ではない高校出身の寺原を1巡目で指名することになった。元巨人球団代表の清武英利は、この意思決定は長嶋茂雄監督の意向だったとの、当時のスカウトからの伝聞情報を紹介している[7]。
巨人の元スカウトである上田武司によると、青山学院大学のグラウンドに毎日のように訪れ、巨人への入団内定を取り付けた。