石川秀美
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石川秀樹」とは別人です。

いしかわ ひでみ
石川 秀美
本名薬丸 秀美
やくまる ひでみ
(旧姓:石川)
生年月日 (1966-07-13) 1966年7月13日(57歳)
出生地千葉県木更津市
国籍 日本
血液型A
職業元歌手
ジャンル女優タレントアイドル
活動期間1982年 - 1990年
活動内容1982年:「妖精時代」デビュー
1990年:引退
配偶者薬丸裕英
著名な家族薬丸翔(旧名SHO:長男)
薬丸隼人(サッカー選手:次男)
薬丸玲美(タレント:長女)
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石川 秀美(いしかわ ひでみ、1966年7月13日[1] - ) は、日本の元歌手。結婚後の本名:薬丸 秀美(やくまる ひでみ)、旧姓:石川。1980年代に活動した。

愛知県瀬戸市出身[1]。現役時代は芸映プロダクション所属。レコード会社はRVC(引退時点ではBMGビクター)(現・ソニー・ミュージックレーベルズ)。

1990年6月4日、元シブがき隊でタレントの薬丸裕英との結婚を機に芸能界を事実上引退した[2]
来歴

航空自衛官の父親が千葉県木更津市木更津基地配属中に[3]、当地出身の秀美の母と知り合い結婚し[3]1966年7月13日、石川家の次女として誕生[3]。2歳半の時に父の故郷である愛知県瀬戸市に引越す[3]。小学校4年生の夏休みの最後の日、父親が交通事故で急逝[3]。以後、母親の手で育てられる[3]。中学時代はバスケットボール部に所属し、県大会で活躍する。

中学校3年生だった1981年の夏、芸映プロが自社の看板スターである西城秀樹の名を冠して主催した新人発掘コンテスト「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に応募[4]12月13日九段会館で開催された決戦大会で、応募総数55,460名の中から選ばれる[4]。選考に当たって他の審査員は後の森下恵理を推したが、西城秀樹が石川を強く推し、その意向に沿う形で決定したという[4]。その後名古屋東京を往復しながら歌のレッスンを受け、翌1982年3月、中学卒業と同時に上京する。明治大学付属中野高校定時制卒業。

1982年4月21日、「妖精時代」でRVC(後のBMGビクターBMGジャパンBMGファンハウスBMG JAPANアリオラジャパンソニー・ミュージックレーベルズ)からレコードデビュー[4]。各音楽祭で新人賞を獲得する。以降、同期デビューの早見優松本伊代堀ちえみ小泉今日子三田寛子シブがき隊中森明菜らとともに「花の82年組」と呼ばれた。

当初の楽曲はアイドルポップスが中心だったが、1986年頃からロック系統の音楽に傾倒していった[5]。80年代後半はライブを中心にオリジナルアルバムを発表。またこの時期はドラマに出演することもあった。

1989年末、23歳の時に芸能界の同期でもある薬丸裕英[6]との親密な交際が報道され、当時、ほとんど表面化することのなかったアイドル同士の恋愛として話題になった。そして翌1990年6月4日に結婚と妊娠8か月であることを発表した[7]。その際、石川の芸能活動は一時休止とされたが、出産を経てからも本格的に復帰することはなく各種タレント名鑑からも名前が削除され、事実上引退[4]。近年は時折、薬丸とCMなどに出演することもある。できちゃった結婚だったため結婚当初は式をあげてなかったが、長女REMIにより「25周年」に初めて式をあげた。

「ALOHILANI」というジュエリーブランドを展開。経営はしておらず、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ワイキキの2店舗にジュエリーコーナーを作って置かせてもらっている(シンソウ坂上より)[要出典]。

2018年5月16日、石川の芸能界デビューの契機となり、元所属事務所・芸映の先輩歌手だった西城秀樹が63歳という若さで逝去。フジテレビ系列「バイキング」の木曜日レギュラー出演者の夫・薬丸裕英は、翌5月17日の同番組生放送中に西城の逝去報道を聞かされ、大きなショックを隠せなかった[8]。それから1週間後の5月24日、「バイキング」において薬丸は妻・石川の現状に関し、「秀樹さんの訃報を知った直後からずっと落ち込みが酷く、精神的に不安定な状態が続いている」とコメント[9]。2日後の5月26日、西城の告別式に夫婦二人揃って参列、久々に公の場へ姿を現した石川だったが、報道陣には一切無言のまま後にし、薬丸が代わりに「妻は秀樹さんが亡くなった事に今も衝撃が大きく、心中を話せる状況ではない」と囲み会見に応じていた[10]
人物

若干苦しそうに一生懸命歌う姿がアイドルとしての魅力の1つであった[4]。2枚目のシングル『ゆ・れ・て湘南』は青春の閉塞感と疾走感が充満した楽曲に仕上がっている[4]

3男2女の母親として日々奮闘している。芸能界の第一線での活動からは退いたものの、夫婦でCMに出演することがある。2010年にも薬丸秀美名義で資生堂のCMに出演。

薬丸が長年出演していた「はなまるマーケット」の終了の際には、夫に関するコメントを出した(書面・声)。

2007年に長男がSHO(現在は本名:薬丸翔)の芸名で「炬燵猫」(サラマンドラ・ピクチャーズ制作)に出演。主演・藤崎レイ役で芸能界デビュー。次男の隼人はサッカー選手としてヨーロッパで活動[1]、ドイツ語・スペイン語・英語・日本語と4ヶ国語が話せる。長女はRemiの芸名でタレントとして日本とアメリカで同時デビュー(ハワイに居を構えDJなどをしている)。2018年日本へ帰国。三男は、13歳から海外へ留学。2018年、アメリカの大学へ留学中。将来、サッカー選手を目指している。次女(5番目)は、幼稚園の時レミ(長女)の留学と共に石川と3人でハワイへ。インタ?ナショナルには通わせず、現地の学校へ通わせている。

2021年1月中旬、長男・翔に第一子となる男児が誕生。石川にとって初孫の誕生となった[11]
ディスコグラフィ

シングルは1982年から1990年迄の間に30タイトルが発売されている。

アルバムは1982年から1989年迄の間にオリジナル盤が13枚、ライブ盤が3枚が発売され、オリコンチャートでは内3枚がベスト10入りした。最高位は「16・祭」の週間売上4位。ベスト盤は1984年から1994年までに計5枚、2004年にCDボックスとゴールデンベストがそれぞれ発売されている。

TBSの「ザ・ベストテン」には1983年から1985年までの3年間に、計16週にわたり8曲がチャートインした。最高位は「ミステリーウーマン」「愛の呪文」の7位。

「もっと接近しましょ」はシーラ・Eの「グラマラス・ライフ」(The Glamorous Life)に酷似していることが指摘された。

「もっと接近しましょ」はアーケードゲーム『ぺんぎんくんWARS』のBGMとしても採用されている。PC-8801MSXおよびファミリーコンピュータへの移植の際にもそのまま用いられたが、後年に携帯アプリ化された際には著作権の関係から別の曲へと差し替えられている。


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