いしおか えいこ
石岡 瑛子
生年月日 (1938-07-12) 1938年7月12日
没年月日 (2012-01-21) 2012年1月21日(73歳没)
出生地 日本、東京府
職業アートディレクター、デザイナー
著名な家族石岡怜子
受賞
アカデミー賞
衣裳デザイン賞
1992年『ドラキュラ』[1]
グラミー賞
ベストアルバム・パッケージ賞
1988年『tutu』
その他の賞
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石岡 瑛子(いしおか えいこ、1938年7月12日 - 2012年1月21日)は、東京府出身のアートディレクター、デザイナー[2]。妹は同じくアートディレクター、イラストレーターの石岡怜子。米国映画芸術科学アカデミー協会 (Academy of Motion Picture Arts and Sciences) 会員[3]。 お茶の水女子大学附属中学校・ お茶の水女子大学附属高等学校を経て、東京藝術大学美術学部図案計画科を卒業後、資生堂宣伝部に入社[4]。村瀬秀明、中村誠らとともにグラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動した。 1970年、石岡瑛子デザイン室として独立し、パルコや角川書店などの広告で1970年代の日本で活躍。1980年代からは活動拠点をニューヨークに移し、メディアに限定されない分野で国際的に活動した。映画や演劇では、セットデザインと衣装デザインの両方を手がけたほか、衣装のみ担当した作品も少なくない。 主な受賞歴に、フランシス・フォード・コッポラ監督作品の『ドラキュラ』でアカデミー衣裳デザイン賞[1]、マイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』のジャケットのデザインでグラミー賞[5]を日本人として初めて受賞。 1996年には第49回カンヌ国際映画祭で審査員を務めた。 2002年には、紫綬褒章を受章。ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラらと交流が深かった。 2008年北京オリンピックの開会式では衣装デザインを担当した。 2011年、長年交際していたプロデューサーのニコ・ソウルタナキスと結婚。 2012年1月21日、膵臓癌のために死去[2](73歳没)。 主な受賞歴は以下の通り[3]。
略歴
受賞歴
1964年、電通賞
1965年、日宣美賞
1969年、通商産業大臣賞「パルコカレンダー」
1975年、毎日産業デザイン賞(第21回)「パルコの広告デザイン」
1975年、ADC会員賞(東京アートディレクターズクラブ)「パルコのアートディレクション」
1980年、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ展特別賞 (第8回)「パルコのポスター」
1985年、カンヌ国際映画祭芸術貢献賞(第38回)「Mishima: A Life In Four Chapters」(美術監督)
1987年、グラミー賞(第29回)「マイルス・デービス『TUTU』のアートワーク」(ジャケットデザイン)
1988年、ニューヨーク批評家協会賞(第39回)「ブロードウェイプロダクション『M.バタフライ』の美術監督」
1988年、トニー賞ノミネート〔昭和63年〕「M.バタフライ」(美術監督)
1988年、ACE賞(Annual Network Award for Cable Excellence)(第9回)「RIP VAN WINKLE」
1992年、アート・ディレクターズクラブ・ホール・オブ・フェーム栄誉殊勲者(米国)
1993年、日本宣伝賞山名賞(第38回)
1993年、アカデミー賞衣装デザイン賞(第65回)「BRAM STOKER'S DRACULA(邦題:ドラキュラ)」[1]
1993年、勝見勝賞(第6回)
1994年、BAFTAノミネーション「ドラキュラ」
1994年、THE ART AWARD OF THE MULTIMEDIA GRAND PRIX 「MECHANISMS OF DENSITY」(ミュージックビデオ演出)
2002年、紫綬褒章〔平成14年〕
作品
グラフィック・デザイン
マイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』(1987年 第29回グラミー賞 最優秀アルバム・パッケージ)