石城山
南方から望む山容
標高362 m
所在地 日本
山口県光市、熊毛郡田布施町
石城山
石城山(いわきさん)は、山口県光市と熊毛郡田布施町にまたがる標高362メートルの山。山口県立自然公園に指定されており、石城山県立自然公園の中心となる山である。別名は西ノ富士。中国百名山のうちの1つ。 山頂付近にはキャンプ場、石城神社、第二奇兵隊士首置松跡、日本神社
概要
8合目付近には、7世紀頃に造られた古代山城(神籠石系山城)跡である石城山神籠石があり、花崗岩の切石が約2600メートルに渡りベルト状に取り巻いており、国の史跡に指定されている[1]。
石城山にはピークが5つあり、最高峰の高日ヶ岳のほか、鶴ヶ峰、築山、星ヶ峯、大峰がある。 中世以前は石城山周辺は海であったと言い伝えられている[2]。現在の柳井市柳井湾から田布施町城南地区を経由して平生町の平生湾に至る室津半島の付け根付近の平野部は、かつて古柳井水道と呼ばれる水道(海峡)であり、熊毛半島は島であったと推定されている[2]。古柳井水道は中国大陸や朝鮮半島・九州から畿内に至る航路として使われる要衝だった。 古墳時代にあたる3世紀末から7世紀頃にかけて、石城山を含めた古柳井水道推定地周囲には、国森古墳や白鳥古墳など、有力な地域首長の存在を示す古墳が複数築造されたが、現在この首長勢力は「熊毛王国」と表現されることがある[3][2]。 この首長勢力は当地の海運を掌握して利を得ていたと考えられ[4]、一説には大和王権に脅威を与えるほど栄えたとの見解もある[5]。 熊毛半島東岸の黒島浜遺跡 山全体が古代山城跡で、石の城の山である事等諸説ある。 石城山神籠石関連 石城神社境内および摂社
歴史
名称の由来
主な観光名所
神籠石
神籠石とは、巨石を一列の帯状に並べて、花崗岩の切石で7世紀頃に造られたもので、山の中腹から8合目あたりを、約2600メートルに渡り鉢巻状に取り囲んでいる。国の史跡に指定されている。
東水門(山姥の穴)・北水門(山姥の穴)
神籠石に設けられた穴。これらの穴にまつわる「山姥伝説」という貸椀伝説がある。「石城山には山姥が住みついていて、里の人が祭りに使う膳椀などを貸していたが、後に借りた者が一部の器を紛失してからは貸さぬようになった」[7] という椀貸伝説である。
西水門
南水門
随身門 - 現在は石城神社の門となっているが、もとはこの地にあった神護寺の仁王門であった。
石城神社(本殿は国の重要文化財)
創建年代は不明。しかし、「石城神社縁記」によると、飛鳥時代、敏達天皇3年(574年)に吉備屯倉(みやけ)の津史(つのふひと)が当地に来て、「石城宮」の勅額を石原男登世彦に授けたのが本宮の起源とされている。これが敏達天皇の勅額と伝えられるものである。奈良時代、称徳天皇の御代に、社務を管掌するための社坊が設けられた。これが神護寺である。天皇の勅額と伝えられる「石城宮」が保存されている。延喜式神名帳(910年)にも記載されている由緒ある神社。「延喜式」に収められた神社は「式内社」と呼ばれ、朝廷から奉幣が行われる例とされ、格の高い古社とみなされている[8]。