いしざか こうじ
石坂 浩二
本名武藤兵吉
生年月日 (1941-06-20) 1941年6月20日(82歳)
出生地 日本・東京府東京市京橋区
(現:東京都中央区)
国籍 日本
身長177 cm
血液型O型
職業俳優・タレント・司会者・ナレーター・コメンテーター・作詞家
ジャンルテレビドラマ・映画・バラエティ番組
活動期間1958年 -
配偶者浅丘ルリ子(1971年 - 2000年)
一般人女性(2001年 - )
事務所プロダクション尾木
公式サイトプロダクション尾木 公式サイト
主な作品
テレビドラマ
『天と地と』/『水戸黄門』
『ありがとう』/『ゆびきり』
『元禄太平記』/『男なら』
『草燃える』/『俺はご先祖さま』
『徳川家康』/『宮本武蔵』
『名探偵由利麟太郎 蝶々殺人事件』
『白い巨塔』/『世にも奇妙な物語 秋の特別編 (2009年)「夢の検閲官」』
『坂の上の雲』/『江?姫たちの戦国?』
『相棒』/『やすらぎの郷』映画
『石坂浩二の金田一耕助シリーズ』
『細雪』/『ビルマの竪琴』
『おはん』/『鹿鳴館』
『四十七人の刺客』/『日本沈没』
『沈まぬ太陽』/『相棒』シリーズバラエティ番組
『世界まるごとHOWマッチ』
『開運!なんでも鑑定団』
『世界ウルルン滞在記』報道番組
『サタデーステーション』(コメンテーター)
受賞
日本アカデミー賞
優秀主演男優賞
1985年『おはん』
その他の賞
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石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月20日 - )は、日本の俳優・タレント。石坂ミュージカル・エンタープライズ社長。2015年10月からプロダクション尾木に所属。本名は武藤兵吉で、親しい芸能人には「へーちゃん」と呼ばれる[1]。画家として1974年から1985年まで二科展に連続入選している[1][2]。プラモデルの愛好家としても知られる[1][3]。
東京府東京市京橋区(現:東京都中央区銀座)生まれの大田区田園調布出身。小さき花の幼稚園[4]、田園調布小学校[5]、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。神奈川県横浜市在住[6]。
元関東明治屋商事株式会社(現:明治屋)取締役の武藤吉二は父[7]。元横浜市長の平沼亮三は外祖父、元ポニーキャニオン常務取締役で音楽プロデューサーの渡辺有三は従弟に当たる。 高校時代の1958年、ドラマ『お源のたましい』に通行人のエキストラでデビューし、1967年に、出演した『泥棒たちの舞踏会』で演出家・浅利慶太のスカウトをきっかけに劇団四季へ入団。劇団では演出部に所属し、浅利のサポートを務める。在籍中に台本・作詞を手がけた子供向けミュージカル『王子とこじき』は退団後も上演され続け、2014年もなおファミリーミュージカルの演目の1つとしてリストアップされている[8]。ドラマ・映画出演と演出助手の両立は多忙を極め、1967年、TBSドラマ『平四郎危機一発』の出演中に倒れ、胃潰瘍と診断されたことにより、劇団四季を退団。退団後も俳優業と並行しての脚本家活動はしばらく続き、1972年頃までNHK教育の子供向け番組の脚本を書いていた[9]。 芸名の由来は、親友の大空眞弓が自分の好きな作家・石坂洋次郎と俳優・鶴田浩二からそれぞれ拝借して名づけたことによる。石坂本人によるとまだ本名で芝居をやっているときTBSのテレビプロデューサー石井ふく子に見いだされ、改名を勧められ“石”のつく芸名(石井ふく子の“石”を採ったとも言われている)を大空の父親が姓名判断をしていたこともあり「石坂浩二」に決まった[10]。親交の深い大橋巨泉などから「兵ちゃん」(本名の兵吉から)と呼ばれている。 松竹映画『日も月も』、『風の慕情』で主演を果たす。 NHK大河ドラマ常連俳優の一人で、計11回の出演をしている。
来歴・人物