石坂公成
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石坂 公成
生誕 (1925-12-03)
1925年12月3日
大日本帝国東京府
死没2018年7月6日(2018-07-06)(92歳)
日本
山形県山形市
国籍 日本
研究分野免疫学
研究機関国立予防衛生研究所
ジョンス・ホプキンス大学
京都大学
カリフォルニア大学
出身校東京大学
主な業績免疫グロブリンEの発見
主な受賞歴武田医学賞(1973)
朝日賞 (1973)
ガードナー国際賞 (1973)
恩賜賞日本学士院賞(1974)
日本国際賞 (2000)
配偶者石坂照子
プロジェクト:人物伝
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石坂 公成(いしざか きみしげ、1925年大正14年)12月3日 - 2018年7月6日[1])は、日本免疫学者医学博士。ラホイヤ・アレルギー免疫研究所名誉所長[2]
目次

1 経歴

2 学術賞

3 栄典

4 系譜

5 脚注

6 参考文献

7 外部リンク

経歴

東京府生まれ[2]。父は陸軍少将の石坂弘毅。叔父は元経団連会長石坂泰三府立二中旧制成蹊高等学校を経て、1948年東京大学医学部卒業[2]

国立予防衛生研究所免疫血清室長、小児喘息研究所(デンバー)免疫部長、ジョンス・ホプキンス大学医学部教授(京都大学医学部教授兼任)、 ラホイヤ・アレルギー免疫研究所所長、カリフォルニア大学内科教授、米国免疫学会会長等歴任[2]。1983年、米国科学アカデミー(NAS)会員。

1966年2月20日、新しいアレルギー物質(IgE)の発見を共同研究者である妻の石坂照子と発表する[3]

「引退したら山形に帰りたい」という照子の願いをかなえるため、自らの引退の後、1996年に山形市に同道したが、照子は1998年に発病して山形大学病院に入院。長期入院する妻の看病[4][5]を続けた[6]。これらの縁から、山形大学客員・特別招聘教授、山形県教育委員会委員長などに就任している[7]

2018年7月6日午前7時58分、病気のため、山形県山形市で亡くなった。92歳没。
学術賞

1972年
パサノ賞[2]

1973年 武田医学賞免疫グロブリンEの発見とレアギン型アレルギーの機序に関する研究により)[8]

1973年 朝日賞(免疫グロブリンEの発見により)[9]

1973年 ガードナー国際賞

1973年 パウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞

1974年 恩賜賞日本学士院賞(免疫グロブリンEの発見とレアギン型アレルギーの機序に関する研究により)[10]

2000年 日本国際賞(免疫グロブリンEの発見とアレルギー発症機序の解明により)[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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