石原良純
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いしはら よしずみ
石原 良純

本名同じ
生年月日 (1962-01-15) 1962年1月15日(62歳)
出身地 日本神奈川県逗子市
身長182 cm
血液型A型
職業タレント俳優気象予報士
活動期間1982年 -
配偶者あり(医師
著名な家族石原慎太郎(父・元衆議院議員・元東京都知事
石原典子(母)
石原裕次郎(父方の叔父・俳優)
石原伸晃(兄・自由民主党元衆議院議員)
田中理佐(義姉)
石原宏高(弟・自由民主党衆議院議員)
石原延啓(末弟)
事務所湘南ブラザース
公式サイト ⇒公式サイト
主な作品
テレビドラマ
西部警察 PART-III
太陽にほえろ!
ナースのお仕事
新・愛の嵐
どんど晴れ』バラエティ番組
中井正広のブラックバラエティ
ぴったんこカン・カン
ザワつく!金曜日
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石原 良純(いしはら よしずみ、1962年昭和37年)1月15日 - )は、日本タレント俳優司会者気象予報士。本名同じ。愛称は「まゆ毛」[注 1]「よっちゃん」「ずみさん」[注 2]「ニンデマン」[注 3]など。石原裕次郎が社長を務めていた石原プロモーション所属を経て、現在は湘南ブラザース所属。
来歴

1962年1月15日、石原慎太郎の次男として誕生し[1]神奈川県逗子市で育つ。父の石原慎太郎は芥川賞作家でありかつ政治家で有名人で、叔父の石原裕次郎も映画の大スターという環境で育つことになった。良純が育った家庭の独特の雰囲気、家庭内の父親の素顔、家族間の力関係、親族としての石原裕次郎など(たとえば、父・慎太郎の家庭内での威張りぶりや、献身的な母の存在や、良純と兄弟たちの家庭内での扱われ方、甥の立場から見た映画スター裕次郎の素顔など)については、良純による著書『石原家の人びと』(新潮社、2001年)で語られている[注 4]。なお兄の石原伸晃や弟の石原宏高も、後に父同様に政治家となる(詳細は#家族・親族の節で説明)。

聖マリア幼稚園、慶應義塾幼稚舎慶應義塾普通部サッカー部所属)、慶應義塾高等学校合気道部所属)で学び、慶應義塾大学経済学部経済学科に進学し、同大学を卒業。大学では親しい先輩に誘われ、村井俊雄の金融論のゼミに入っていた[2][3]

大学在学中の1982年、叔父の石原裕次郎が入院していたのを見舞ったことが切っ掛けで、映画関係者から役者デビューの誘いを受ける[4]。同年、石原プロモーションに入社し、映画『凶弾』で、新人ながら主役に抜擢されデビュー。本作で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞[5]。以降、『西部警察 PART-III』や『太陽にほえろ!』などに出演。1989年に石原プロを退社[6]した後、かつて父・慎太郎の担当編集者だった広告プロデューサー「三原栄子」と出会い、三原の個人事務所「クリエイティブ・エージェント三原事務所」に入社。1992年6月、クリエイティブ・エージェント三原事務所からマネージメント部門を分離した新会社「株式会社湘南ブラザーズ」に移籍[7]

1997年森田正光にすすめられて気象予報士を志し、気象予報士試験に合格。同年、「★☆北区つかこうへい劇団」に、俳優を目指す一般の若者たちと一緒に入団した。以降はタレント・役者として活動する一方、FNNスーパーニュースで10年以上にわたり関東ローカルの天気コーナーを担当するなど、お天気キャスターとしても人気を博した。オリコンが行っている「好きなお天気キャスター、気象予報士」というアンケートでは、2004年から総合部門・男性部門で1位を3年連続で獲得した[8]

2002年9月に皮膚科医と結婚して、一男一女をもうけている[9]

伊豆七島神津島をPRする島じまん親善大使[10]、なると大使[10]、カニカマ大使[11]、細工かまぼこ大使[11]、笹かま大使[11]、ちくわ大使[11]、はんぺん大使[11]、きりたんぽ大使、さきイカ大使、蕨大使、駒込大使、アペリティフの日親善大使を務める[12]

また、2018年(平成30年)10月12日より地元逗子市逗子市広報大使を務めている[13]
人物

地図ダム灯台山脈鉄道が好きで、が苦手。

兄の石原伸晃は「良純がうちの家系で一番IQが高い。だから何を考えているのか想像がつかない」と評している。各方面からは石原4兄弟の中では、良純が政治家に一番向いていると評されているが、本人は政治家になる意思は無いと断言している。

感情がかなり豊かで、短気で、人の不幸を大笑いする癖がある。本人曰く「怒っているのではなく、主張する時は誰でも声が大きくなる」「人が不幸な目に遭ってる時には誰かが笑ってあげないと可哀想じゃん」と主張している。怒っているような時に「じゃあそういうことはやめた方がいい」と正論を言われると子供のようにムキになるが、結局論破されて涙目になることもある。当然本当に笑えない程の不幸な時には笑わないが、代わりに低いトーンで冷静に分析し、自分の意見を明確に伝える。本人曰く「こういう話し方の時は本気で怒っている」という。

逗子市内の洋菓子店珠屋ファンを称する[14]

1997年に気象予報士の資格を取得した。
家族・親族

父の石原慎太郎(1932-2022)は大学在籍中の1956年に『太陽の季節』で第34回芥川賞を受賞し作家デビューし人気作家となり、当時の若者に「太陽族」という大きなムーブメントも引き起こし、戯曲も書き劇団を率いて日比谷の日生劇場で演劇作品も上演していた人物で、なおかつ政治信条も持ち政治家ともなり参議院議員や衆議院議員となり環境庁長官や運輸大臣の責も担い、さらに東京都知事の職を4期(第14 - 17代)に渡り務めた人物で、にもかかわらず当人は政治家というよりむしろ作家としての自覚を持ち続け、生涯に渡り執筆活動を続けた人物で、強烈な個性の持ち主[注 5]

兄の石原伸晃は、政治家となり元衆議院議員で行政改革担当大臣規制改革担当大臣国土交通大臣自民党幹事長環境大臣経済再生担当大臣内閣府特命担当大臣経済財政政策)などを務めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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