石原宏高
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日本政治家石原 宏高いしはら ひろたか
2023年9月13日、内閣総理大臣補佐官就任において
生年月日 (1964-06-19) 1964年6月19日(59歳)
出生地 日本 神奈川県逗子市
出身校慶應義塾大学経済学部経済学科
前職日本興業銀行行員
所属政党自由民主党石原派岸田派→無派閥)
称号経済学士(慶應義塾大学・1988年
親族父・石原慎太郎
母・石原典子
兄・石原伸晃
兄・石原良純
弟・石原延啓
公式サイト ⇒衆議院議員 石原ひろたか
内閣総理大臣補佐官
国家安全保障に関する重要政策及び
核軍縮・不拡散問題担当

内閣第2次岸田第2次改造内閣
在任期間2023年9月13日[1] - 現職
衆議院議員
選挙区(東京3区→)
比例東京ブロック
当選回数5回
在任期間2005年9月11日 -2009年7月21日
2012年12月18日 - 現職
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石原 宏高(いしはら ひろたか、1964年6月19日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(5期)。内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当)。

環境副大臣内閣府副大臣第4次安倍第2次改造内閣)、内閣府副大臣(第3次安倍第2次改造内閣)、外務大臣政務官第2次安倍内閣)、衆議院環境委員長、自由民主党報道局長、同環境・温暖化対策調査会事務局長、同離島振興特別委員会事務局長、同国会対策委員会副委員長、同選挙対策委員会副委員長、同副幹事長、同政務調査会内閣第二部会長を歴任した[2][3][4]

作家で、衆議院議員、参議院議員東京都知事を務めた石原慎太郎叔父俳優石原裕次郎。長兄は衆議院議員を務めた石原伸晃。次兄はタレント石原良純画家石原延啓。義理の姉は女優、タレントの田中理佐。男4兄弟の三男。
来歴2023年、内閣総理大臣補佐官就任時に岸田文雄

1964年、神奈川県逗子市生まれ。慶應義塾幼稚舎慶應義塾普通部慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科、それぞれを卒業した。大学では国際経済理論及び、経済発展理論を専攻して全ゼミナール委員長として企画・運営なども担った[5]

1988年、日本興業銀行に入行。

2003年第43回衆議院議員総選挙自由民主党公認で東京3区から出馬したが、民主党松原仁に敗れ、比例復活もならず落選した[6]

2005年第44回衆議院議員総選挙で、の伸晃から援を得た他小泉旋風の影響もあり東京3区で松原を破り初当選した[6]。松原は比例復活した。選挙後、2005年に衆議院財務金融委員会委員、自由民主党青年局次長となる[7]

2006年伝統と創造の会の発足に伴い、これに入会。同年8月15日、靖国神社に参拝した[8]

2009年第45回衆議院議員総選挙は自由民主党への逆風もあって苦戦[6]。東京3区で松原に敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックでの復活もならず、落選した。

2012年第46回衆議院議員総選挙で、再び東京3区から自民党公認・公明党推薦で出馬し、2,016票差で松原を破り国政に復帰した。松原は比例復活した。票数が僅差で石原が当選確実とされたのは、12月17日の午前1時過ぎであった[9]

2013年9月、第2次安倍内閣外務大臣政務官に就任し、2014年9月に退任した。

2013年11月25日 石破茂幹事長と共に台風26号の被害にあった伊豆大島を訪問[10]した。

2014年1月24日から2月10日まで、「マダガスカル国大統領就任式典に参列する特派大使[11]、および「ホンジュラス国大統領就任式典に参列する特派大使[11]を務めた。[7]

3月3日、ジュネーヴでの国連人権理事会の定例会合で演説し、北朝鮮の人権侵害に関する国連調査委員会の報告書を受けた決議案を欧州連合 (EU) と共同で提出すると表明した[12]。3月7日日本の無償資金協力で1979年に設立されたケニア中央医学研究所 (KEMRI) を訪問[13]。3月11日の国連婦人の地位委員会で「女性が輝く社会」の実現に向けて取組みを進めていることを報告し、東日本大震災等の教訓をふまえ、減災、防災、災害復興の全ての局面における女性の意志決定部門への参画の重要性についてステートメントの中で言及した[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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