日本の児童向け漫画家の「石井敬士」あるいは日本の元プロ野球選手の「石井貴」とは別人です。
いしい たかし
石井 隆
本名石井 秀紀
別名義出木 英杞
生年月日 (1946-07-11) 1946年7月11日
没年月日 (2022-05-22) 2022年5月22日(75歳没)
出生地 日本・宮城県仙台市
死没地 日本・東京都
職業脚本家、映画監督、漫画家
ジャンル映画・テレビドラマ
公式サイト石井隆の世界
受賞
ヨコハマ映画祭 脚本賞
1986年『ラブホテル』キネマ旬報 脚本賞
1992年『死んでもいい』テッサロニキ国際映画祭
最優秀監督賞
1992年『死んでもいい』高崎映画祭
最優秀作品賞
1994年『ヌードの夜』
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石井 隆
本名石井 秀紀
生誕 (1946-07-11) 1946年7月11日
日本・宮城県仙台市
死没 (2022-05-22) 2022年5月22日(75歳没)
職業漫画家、脚本家、映画監督
活動期間1970年 -
ジャンル劇画
公式サイト石井隆の世界
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石井 隆(いしい たかし、1946年7月11日[1] - 2022年5月22日)は、日本の漫画家、脚本家、映画監督。本名・石井 秀紀[1][2]。
宮城県仙台市出身[1]。宮城県仙台第二高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。 早稲田大学ではシナリオ研究会に所属していたが、学生運動に巻き込まれることを嫌い、革マル派の影響が薄かった映画研究会
経歴・人物
卒業後の1970年、『事件劇画』誌で出木英杞のペンネームで劇画漫画家としてデビュー[2]。1975年頃より主に「ヤングコミック」誌等で執筆する[2]。自作『天使のはらわた』(1977年)が大ヒットし、1978年から日活ロマンポルノにてシリーズ映画化される。シリーズ第2作にて自ら脚本を手がけることとなり[1]、脚本家としてもデビューする。
1970年代後半に巻き起こった扇情的な劇画ブームの中では、メランコリックな展開と読者を圧倒するタナトスを映画的構図と緻密な描画を駆使して導入、一貫して心魂を傾け続けた作品群により多くの作家とは一線を画し、脚光をあびた。
その後も、数々の劇画原作・脚本を手がけ、1988年に『天使のはらわた 赤い眩暈』で監督としてもデビューする[1]。
監督する映画に同じ俳優が幾度も出演する傾向があり、竹中直人、椎名桔平、伊藤洋三郎、大竹しのぶ、余貴美子、片岡礼子などが複数作品に出演していた。
2022年5月22日、がんのため自宅で死去[3]。75歳没。関係者によればここ3年ほど闘病生活を送っていたが、周囲に伝えることはしていなかったという[3]。
受賞歴
第4回にっかつロマン大賞特別賞(1988年)[1]
天使のはらわた 赤い淫画
第8回おおさか映画祭脚本賞