石井 秀吉 七段
名前石井 秀吉
生年月日1883年頃[注 1]
没年月日1941年11月2日(59歳[注 1])
プロ入り年月日1918年
出身地東京府京橋区(現:東京都中央区)
所属将棋同盟会
→将棋同盟社
→東京将棋連盟
→日本将棋連盟(関東)
→将棋大成会(関東)
師匠川井房郷七段
弟子長谷川清二郎、斎藤銀次郎、大和久彪、加藤恵三、佐瀬勇次
段位七段
2022年2月22日現在
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石井 秀吉(いしい ひでよし、1883年頃[注 1] - 1941年11月2日[1])は、将棋棋士。七段[1]。東京の京橋生まれで深川育ち[1]。川井房郷七段門下[2]。
日本将棋連盟公式サイトの「物故棋士一覧」に名前はないが、佐瀬勇次のページの「師匠」欄や「棋士系統図」[2]においてその名を確認することができる。 将棋同盟会(後の将棋同盟社、日本将棋連盟の前身の一つ)に付け出し二段で加入し[1]、大正7年(1918年)四段[1]、大正11年(1922年)五段[1]、大正14年(1925年)に六段[1]に昇段した。 1941年11月2日に病没[1]、享年59歳[1]。追贈七段[1]。 棋戦での活躍よりも、弟子の輩出で知られており、後の将棋界において石井一門の系譜の棋士は極めて多い。日本将棋連盟公式サイトの「棋士系統図」[2]においては、佐瀬勇次のほか、長谷川清二郎、斎藤銀次郎、大和久彪、加藤恵三が弟子として掲示されている。佐瀬は、石井と同様にプロ棋士としての活躍は無かったが、米長邦雄、丸山忠久、高橋道雄、木村一基、西村一義、田丸昇ら多くの優秀な弟子を輩出し、彼らからさらに多くの孫弟子(石井から見れば曾孫弟子)が輩出された。また、斎藤銀次郎の筋では、斎藤の孫弟子(石井から見れば曾孫弟子)にあたる所司和晴が多くの棋士を育てており、「平成の名門」と呼ばれている。
経歴
弟子
著書
将棋初歩研究(1949年、関根金次郎、飯塚勘五郎、花田長太郎、小泉兼吉との共著、泰文館)
脚注
注釈^ a b c 1941年の『将棋世界』誌の訃報[1]に、11月2日没で「享年59歳」とある。この享年が数え年であれば生年は1883年、満年齢ならば生年は1881-82年となる。
出典^ a b c d e f g h i j k 「石井七段逝く」『将棋世界』第5巻第12号、将棋大成会、1941年、68頁。 (国立国会図書館デジタルコレクション
^ a b c “棋士系統図
関連項目
将棋棋士一覧
棋戦 (将棋)
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