石丸博也
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いしまる ひろや
石丸 博也
プロフィール
本名石出 伸二(いしで しんじ)
[1][2]
性別男性
出身地 日本宮城県仙台市[1][3]
生年月日 (1941-02-12) 1941年2月12日(83歳)
血液型A型[1]
職業俳優声優ナレーター[4]
事務所ぷろだくしょんバオバブ[5]
配偶者あり[1][3]
公式サイト ⇒石丸 博也|ぷろだくしょんバオバブ
公称サイズ(時期不明)[4]
身長 / 体重167 cm / 60 kg

俳優活動
活動期間1960年代 - 1970年代
ジャンルテレビドラマ舞台
声優活動
活動期間1970年代 - 2023年
2024年
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

石丸 博也(いしまる ひろや、1941年2月12日[注 1][1] - )は、日本の元声優、元俳優、元ナレーター[4]宮城県仙台市出身[1][3]ぷろだくしょんバオバブ所属[5]
経歴

宮城県仙台市で生まれ、5歳の時に千葉県に転居[1][3]。その後は東京都神奈川県横浜市で育つ[1][3]

目黒区立第四中学校(現:目黒区立大鳥中学校[3]東京高等学校卒業[6]芝浦工業大学工学部中退。

機械いじりが好きであり、大学受験ではエンジニアを目指して理工系を狙っていたが、失敗[3]。浪人中に「何かやってみよう」と偶々目についた劇団ひまわりの研究生募集に応募したのが、芸能界入りのきっかけである[1][7]。演技に関しては学芸会の経験のみだったため、同劇団の研究生になってしばらくは、人前で芝居をするどころか人前に出ることも恥ずかしくなり「役者をやめようか」と悩んでいた時期もあったという[7]

当初は『大江戸捜査網』などのテレビドラマ舞台に出演していたが、それだけでは食べていけず、マネージャーからアルバイトとして声の仕事を紹介され[1]、27歳ぐらいから声優としての活動を始める[7]

声優としては、海外ドラマ『マニックス』で初レギュラーを獲得し、1972年にテレビアニメ『マジンガーZ』の主人公・兜甲児を演じた。

事務所は、劇団ひまわり、劇団太陽、JKプランニング(創立者 日景忠男)、青二プロダクションを経て、ぷろだくしょんバオバブへ所属[1]

2023年、3月末日をもって引退[8]。理由に関しては石丸本人の「余力があるうちに引退しておきたい」という意向が強かったといい[注 2]、表立った発表や報道は行われず、同年4月20日に東京府中FMで放送された『ラジonジャッキー』にて、石丸と交友のある音響監督市来満が関係各所に通達された所属事務所(ぷろだくしょんバオバブ)からの案内を読み上げる形で伝えた[10][11]。引退後も同事務所には籍を置いており、公式サイトにおけるプロフィールは4月以降、それまでの男性所属者一覧から「Archive(アーカイブ)」の欄に移動している[12][13]

引退後の2024年、専属で吹き替えていたジャッキー・チェンを、複数の作品の追加収録および映画『ライド・オン』の日本語吹替版にて「限定復活」という形で担当した[14][15][16]
特色・人物

声優業ではアニメ吹き替えを問わず、幅広い活動を見せる。

役に関しては、オーディションを受けると落ちることが多く指名で起用されることが多いという。青年から老人まで幅広い役を演じるが、持ち役の再演などで比較的若い役を演じる機会が多く、2010年には年相応の役が少なく若い演技をしなくてはならないことに難儀している一面も明かしている[17]

30歳の時に劇団の仲間の女性と結婚[3]。息子と娘がいる[1]

顔出しはあまり好んでいない[18]。これは昔「声優は表に出るべきじゃない」と教えられたからだという[19]。そのため、2013年に公開された映画『ライジング・ドラゴン』では、人生初の舞台挨拶を行った[20]。なお、他の者が顔出し出演をすることへの抵抗はないという[18]

ファンに向けての一言を求められた際に「好きなことだったら諦めないで続けてみろ」と答えている。また、自身が声優業を長年続けているのも「好きだから、それしかない」としている[21]

趣味は野球囲碁麻雀競馬パチンコ資格普通自動車免許[5]
エピソード
兜甲児

1972年以降、『マジンガーZ』の主人公・兜甲児を演じている。起用はオーディションでなく、当時の音響ディレクターである春日正伸の抜擢だったという。

当初は演技の未熟さから春日に怒られることが多く、石丸は後に「それまでは(声優業を)バイトの感覚でやってたんだけど、(当作で)本当に慣れることができたみたい」と回想している[1]。なお、当時はよくトチるため、「トチマル」と現場で呼ばれていたという[21]。また、石丸自身はこの経験から「俺みたいな下手なやつでも頑張っていると上手くなる」と語っている[21]。共演した大竹宏は、「先輩がアドバイスしたら、それでまたあがっちゃってトチるから、あんまり教えないほうがかえって良かった」と話しており、やっと兜甲児らしくなったのは、4、5本目ぐらいからだったと語っている[22]

『マジンガーZ』は視聴率20パーセントを越える大ヒット・アニメであったが、放映が始まってしばらく経ってから、ファンレターをくれるようになり、それで「これはヒットしているんだな」と感じることができた[9]。そのうちにファンクラブもでき、一時期は500人ぐらい会員がいた[9]。スタジオに収録に行くと、女の子が待っており、サインは書いたことなかったが「サインしてくれ」と言われたりなどしていたという[9]

兜甲児は顔は2枚目だが、中身は3枚目で石丸は「2枚目半だ」、と思っていた[9]。あんまり2枚目は得意ではなく、自然と2枚目半になってしまったのかもしれないという[9]

「ロケットパ?ンチ!」、「光子力ビィ?ム!」など技を出す時の叫び声も考えたことあった[9]。脚本を見ても、「ロケットパンチ」としか書いていないことから、「ロケ?ットパンチ!」にすべきか、「ロケットパ?ンチ!」にすべきか自分で考えて言っており、それで「ダメだ」と言われたこともなかったという[9]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}長期にわたり演じているが、後年には高齢によりかつての勢いが衰えてきていることを自覚しており交代を望んでいた。そのため、2009年のテレビアニメ『真マジンガー 衝撃! Z編』で赤羽根健治に交代した際は、安堵したという。[要出典]その後、2018年の劇場アニメ『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』では森久保祥太郎が兜甲児を演じ、自身は統合軍指令役として出演。収録の際に森久保から当時のことなどを聞かれたが、「もう忘れちゃったから、君が思うとおりにやりなよ」とエールを送っている[23]。その一方、以降も散発的に石丸が演じる機会は多い[注 3]
ジャッキー・チェンとの関わり

ジャッキー・チェンの専属吹き替え声優(フィックス)としても知られている。ほぼすべての出演作品で吹き替えを担当していることから、「完全に一心同体」「もう一人のジャッキー」と評されることもある[24][25]。2019年には「同じ声優による同一俳優への吹き替え映画の最多数」としてギネス世界記録に認定された[26]

初担当は、1981年に放送された『ドランクモンキー 酔拳[27][28]。兜甲児と同じく、演出の春日正伸による指名だったという。

石丸はジャッキーの魅力について「魅力もなにも、向こうはスターなんだからさ。本当のスターだよ。たいしたもんだよ。本当にすごい人だと思いますよ」と語っている[29]ほか「ジャッキーと共に成長してきた」とコメントしている[18]。演じる際はアクションシーンの声や叫びなども吹き替えることが多く、元(ジャッキー本人)に負けないよう力をこめて収録しているという[29][28]

石丸とジャッキーは何度か対面している。初対面は1982年の『スネーキーモンキー 蛇拳』のアフレコスタジオ[19]で、当時公開されたばかりだった『ドラゴンロード』のPRで来日していたジャッキーが、石丸を表敬訪問する形だった。その後、1984年放送の『夜のヒットスタジオ』にジャッキーが歌手として出演した時は、石丸がジャッキーの応援で出演した[19]。ジャッキーは、2007年のインタビューで石丸について「彼は僕の表情までうまく吹き替えてくれている。これからもよろしくお願いします!」と絶賛し、大きな信頼を寄せていることを明かしている[30]

ラッシュアワー」シリーズの吹き替えで石丸のジャッキーと共演した山寺宏一は「石丸さんのジャッキーはFIXの中のFIXですから!」とその功績を讃え[注 4]、自身も幼少期に石丸の吹き替えたジャッキー作品をよく観ていたことから「こうやって(石丸のジャッキーと)ご一緒させていただけるとは思っていなかったので、すごく嬉しかったですね」と共演した際の喜びについて振り返っている[32]


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