石上神宮
拝殿(国宝)
所在地奈良県天理市布留町384
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度35分52秒 東経135度51分7秒 / 北緯34.59778度 東経135.85194度 / 34.59778; 135.85194
石上神宮(いそのかみじんぐう)は、奈良県天理市布留町にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 別名として、 などがある。幕末 - 明治期には地元で「いわがみさん」と呼ばれていた[2]。 なお『日本書紀』に記された「神宮」は伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば日本最古設立の神宮となる。 古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座する。非常に歴史の古い神社で、『古事記』・『日本書紀』に既に、石上神宮・石上振神宮との記述がある。古代軍事氏族である物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。古くは斎宮が居たという。その中で、本当に斎宮であったかどうか議論が多いが、布都姫という名が知られている。また、神宮号を記録上では伊勢神宮と同じく一番古く称しており、伊勢神宮の古名とされる「磯宮(いそのみや)」と「いそのかみ」とに何らかの関係があるのかが興味深い。 社伝によれば、布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣で、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、高倉下(夢に天照大神、高木神、建御雷神が現れ手に入れた)を通して天皇の元に渡った。その後物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られていたが、崇神天皇7年、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが当社の創建である。 社伝ではまた一方で、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)から当社へ遷されたとも伝えている。この剣は石上布都魂神社では明治以前には布都御魂剣と伝えていたとしている。 垂仁天皇39年には剣一千口と神宝が納められ、天武天皇3年(674年)には忍壁皇子(刑部親王)を派遣して神宝を磨かせ、諸家の宝物は皆その子孫に返還したはずだが、日本後紀 巻十二 桓武天皇 延暦23年(804年)二月庚戌 条に、代々の天皇が武器を納めてきた神宮の兵仗を山城国 葛野郡に移動したとき、人員延べ十五万七千余人を要し、移動後、倉がひとりでに倒れ、次に兵庫寮に納めたが、桓武天皇も病気になり、怪異が次々と起こり、使者を石上神宮に派遣して、女巫に命じて、何故か布都御魂ではなく、布留御魂を鎮魂するために呼び出したところ、女巫が一晩中怒り狂ったため、天皇の歳と同じ数の69人の僧侶を集めて読経させ、神宝を元に戻したとある。当時それほどまで多量の神宝があったと推測される。 神階は嘉祥3年(850年)に正三位、貞観元年(859年)に従一位、貞観9年(868年)に正一位。『延喜式神名帳』には「大和国山辺郡 石上坐布留御魂神社」と記載され、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預り、臨時祭も執り行われると記されている。『延喜式』の「臨時祭」の項では殿舎と神門の鑰を宮中で保管し容易には開かないと記されている。 中世以降は布留郷の鎮守となり、当社の神宮寺である内山永久寺(天理市杣之内町にあった寺院)と共に栄えた。しかし、興福寺と度々抗争を繰り返し布留郷一揆が頻発し、戦国時代に入ってからは織田信長の勢力に押され、多くの神領も没収された。しかし、氏子たちの信仰は衰えなかった。 江戸時代には「西の日光」と呼ばれた内山永久寺が明治時代になって廃寺とされるも、当社は1871年(明治4年)には官幣大社に、1883年(明治16年)には神宮号を再び名乗ることが許された。 この神社には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、またそこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていた。1874年(明治7年)の発掘を期に、出土した刀(布都御魂剣)や曲玉などの神宝を奉斎するため本殿を建造(建造のための1878年(明治11年)の禁足地再発掘でも刀(天羽々斬剣)が出土し、これも奉斎した)。1913年(大正2年)には本殿が完成した。禁足地は今もなお、布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれている。 翌、1914年(大正3年)には旧内山永久寺の地に残されていた住吉神社の拝殿を移築し、摂社・出雲建雄神社の拝殿としている。 1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。
社名
石上振神宮[1]
石上坐布都御魂神社
石上布都御魂神社
石上布都大神社
石上神社
石上社
布留社
岩上大明神
布留大明神
祭神
主祭神
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ) - 神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊。
配神
布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ) - 十種神宝に宿る神霊。
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ) - 天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊。
宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
五十瓊敷命(いにしきのみこと)
白河天皇
市川臣命(いちかわおみのみこと) - 天足彦国押人命(孝昭天皇皇子)後裔で、石上神宮社家の祖。
歴史
境内楼門(重要文化財)
本殿 - 1913年(大正2年)建立。