知恩院
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知恩院
本堂(御影堂、国宝)
所在地京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度0分18.75秒 東経135度47分0.25秒 / 北緯35.0052083度 東経135.7834028度 / 35.0052083; 135.7834028座標: 北緯35度0分18.75秒 東経135度47分0.25秒 / 北緯35.0052083度 東経135.7834028度 / 35.0052083; 135.7834028
山号華頂山(かちょうざん)
院号知恩教院
知恩院
宗派浄土宗
寺格総本山
本尊法然上人像(御影堂)
阿弥陀如来(阿弥陀堂)
創建年承安5年(1175年
開山法然
正式名華頂山知恩教院大谷寺
別称ちよいんさん
智恩院
吉水御坊
吉水草庵
大谷禅房
札所等法然上人二十五霊場第25番
洛陽天満宮二十五社順拝第15番(梅宿菴天満宮)
文化財本堂、三門、阿弥陀二十五菩薩来迎図ほか(国宝
大方丈、木造阿弥陀如来立像、木造善導大師立像ほか(重要文化財
公式サイト浄土宗総本山 知恩院
法人番号1130005000279
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遠景(左三門、右本堂、後方比叡山)

知恩院(ちおんいん)は、京都市東山区林下町にある浄土宗総本山寺院山号は華頂山(かちょうざん)。本尊法然上人像(御影堂)および阿弥陀如来像(阿弥陀堂)。開山は法然である。詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。

浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。

なお他流で門跡に当たる当主・住職を、知恩院では浄土門主(もんす)と呼ぶ。浄土門主・法主推戴委員会により推戴される。
歴史

知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とする。法然は平安時代末期の長承2年(1133年)、美作国(現・岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り、15歳で僧・源光のもとで得度(出家)する。18歳で比叡山でも奥深い山中にある西塔黒谷の叡空に師事し、源光と叡空の名前の1字ずつを取って法然房源空と改名した。法然は時代の高僧・善導の著作『観経疏』を読んで「専修念仏」の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意して比叡山を下りた。承安5年(1175年)、43歳の時であった。法然は東山の吉水に吉水草庵(吉水中房。現・知恩院御影堂、もしくは現・安養寺)を建てると、そこに入った。

「専修念仏」とは、いかなる者も、一心に阿弥陀仏(阿弥陀如来)の名を唱えれば極楽往生できるとする思想である。この思想はいわゆる旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となった。

法然は建永2年(1207年)の承元の法難讃岐国(現・香川県)に流罪となったが、4年後の建暦元年(1211年)には許されて都に戻る。


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