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出典検索?: "矢野英司"
矢野 英司基本情報
国籍 日本
出身地神奈川県横浜市港南区
生年月日 (1976-06-15) 1976年6月15日(47歳)
身長
体重179 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1998年 ドラフト2位 (逆指名)
初出場1999年4月3日
最終出場2005年8月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
横浜高等学校
法政大学
横浜ベイスターズ (1999 - 2003)
大阪近鉄バファローズ (2004)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2005 - 2006)
シャンバーグ・フライヤーズ (2007)
ナシュア・プライド (2007 - 2008)
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矢野 英司(やの えいじ、1976年6月15日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の元プロ野球選手(投手)。 横浜高校時代は3度甲子園に出場。同期の選手に多村仁志、紀田彰一、斉藤宜之などがいる。 法政大学では入学早々リリーフエースとして活躍。大学選手権では全試合に登板し、先発の真木将樹(1学年上)らを支え、7回目の優勝に貢献した。高校でも1年先輩の平馬淳もレギュラーであった。3年秋の明治神宮大会では準決勝で毎回、先発全員から当時大会新記録となる18奪三振で大学公式戦での初完封。東京六大学リーグ通算22勝、防御率1位1回、ベストナイン1回を記録。また、4年春の東京六大学リーグ戦では、このリーグ所属の選手としては初めて神宮球場のスピードガンで150km/hを計測した(スコアボードに表示されたもの)。1998年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから2巡目指名(逆指名)を受け、入団。同期の福本誠が同時に横浜へ、左腕・福山龍太郎もダイエー入りしている。1年下に安藤優也がいた。 1年目の開幕前は上原浩治らと共に新人王の有力候補に名前が挙げられていた。開幕後は先発・中継ぎで30試合に登板したが、防御率6.16と振るわず、また怪我により離脱もあり、即戦力としての期待を裏切ることとなった。2年目は谷間の先発で好投していたが、右肘靭帯の断裂で5月に登録抹消、9月に手術を受ける。以後は故障に泣かされ続け、2001年から2003年の3年間は一軍登板なしに終わった。 2004年、門倉健・宇高伸次との交換トレードで福盛和男と共に大阪近鉄バファローズへ移籍。4年ぶりに一軍登板及び勝利を記録したが、結果は残せなかった。 2005年に分配ドラフトを経て東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。楽天では5年ぶりの先発登板もしたが、結果を出せず。2006年は一軍登板なしに終わり、球団から戦力外通告を受けた。 2007年、アメリカ独立リーグであるノーザンリーグのシャンバーグ・フライヤーズに入団するも、8試合で1勝2敗の防御率11.92(11.1イニング)と結果が出ず、シーズン途中で解雇された。その後カナディアン・アメリカン・リーグのナシュア・プライドへ移籍。14試合で2勝2敗の防御率5.72(50.1イニング)と奮わず2008年8月にナシュアを退団。現在は現役を引退している。 年
来歴・人物
詳細情報
年度別投手成績
度球
団登
板先
発完
投完
封無
四
球勝
利敗
戦セ
h
ブホ
h
ル
ド勝
率打
者投
球
回被
安
打被
本
塁
打与
四
球敬
遠与
死
球奪
三
振暴
投ボ
h
ク失
点自
責
点防
御
率W
H
I
P
1999横浜308000251--.28628864.174102600531046446.161.55
200073000100--1.0007418.2150600900220.961.13
2004近鉄160000100--1.0006913.12229001110211812.152.33
2005楽天520000200.000449.01424014201099.002.00
通算:4年58130004710.364475105.1125144501774079736.241.61
記録
初登板:1999年4月3日、対ヤクルトスワローズ2回戦(横浜スタジアム)、12回表に5番手で救援登板・完了、1回1失点で敗戦投手