やの たけお
矢野 武男
1930年の写真、満30歳。
本名同
別名義大澤 一角 (おおざわ いっかく)
生年月日 (1900-09-07) 1900年9月7日
没年月日不詳年
出生地 日本 福岡県朝倉郡甘木町(現在の同県朝倉市甘木)
身長160cm
職業俳優
ジャンル劇映画(現代劇・時代劇、剣戟映画、サイレント映画・トーキー)
活動期間1921年 - 1950年代
主な作品
『國士無双』
『堀田隼人』
『赤西蠣太』
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矢野 武男(やの たけお、1900年9月7日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6][7][8]。本名同じ[3]、別表記矢野 武夫、別芸名大澤 一角(おおざわ いっかく、新漢字表記大沢 一角)[5][9]。『國士無双』、『堀田隼人』、『赤西蠣太』等での助演で、片岡千恵蔵プロダクション時代の片岡千恵蔵を支えたことで知られる[1][2][3][5]。 1900年(明治33年)9月7日、福岡県朝倉郡甘木町(現在の同県朝倉市甘木)に生まれる[1][4][7]。生年月日については、『日本映画俳優名鑑』の「昭和五年版」「昭和九年版」では、いずれも「1901年(明治34年)5月9日」と記されている[2][3]が、1979年(昭和54年)刊の『日本映画俳優全集・男優編』では「1900年(明治33年)9月7日」であり、2004年(平成16年)刊の『CD - 人物レファレンス事典 日本編』では年号のみの記述で「1900年(明治33年)」生まれとされている[1][4][7]。学歴についても、『日本映画俳優名鑑』の「昭和五年版」「昭和九年版」では、いずれも旧制中学校を中途退学したことになっているが[2][3]、実際のところは商業学校を卒業し、大阪の三越に勤務していた時期があるようである[1]。『日本映画俳優全集・男優編』では、三越勤務の時期を1922年(大正11年)としており、マキノへの入社時期をスクリーンデビューの直前(1925年3月)としている[1]。 1921年(大正10年)3月、マキノ省三が代表を務めるマキノ映画製作所等持院撮影所に入社[2][3]、同年7月の同撮影所の東亜キネマ吸収合併の際にも同撮影所に残り、1925年(大正14年)5月8日に公開された、月形龍之介主演、衣笠貞之助監督の『心中宵待草
人物・来歴
片岡千恵蔵プロダクションは、1937年(昭和12年)7月1日に公開された衣笠十四三監督の『松五郎乱れ星』を最後に解散、日活にプロダクションごと吸収されており、矢野も、片岡千恵蔵ともども日活京都撮影所に移籍している[1][8]。『日本映画俳優全集・男優編』には「片岡千恵蔵をはじめほとんどのメンバーが日活へ入社したのに、矢野はひとり新興キネマ京都撮影所へ入社」[1]とあるが、日活公式サイトによる「日活データベース」によれば、同年には矢野の日活京都撮影所での出演歴があり[8]、新興キネマに移籍したのは、同年暮れから翌1938年(昭和13年)にかけての時期である[5]。『日本映画俳優名鑑』の「昭和九年版」によれば身長5尺3寸、つまり約160センチメートル[3]。
1942年(昭和17年)1月27日、新興キネマは、戦時統制で日活の製作部門等と合併して大映を形成、矢野は継続入社し、新興キネマ京都撮影所(現在の東映京都撮影所)は間もなく閉鎖され、日活京都撮影所改め大映京都撮影所に所属した[5]。第二次世界大戦の終結後も同撮影所に所属したようだが、端役が多く、クレジットに残るものは少ない[5][6][7]。