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矢野 有美(やの ゆみ、1966年4月15日 - )は、香川県高松市生まれ[1](3歳まで)、東京都東村山市育ちの元・アイドルタレント、女優、歌手。1982年デビュー、1986年引退。堀越高等学校卒業。
所属事務所
平田昆プロモーション (シャワーとしての活動のみ「田辺エージェンシー」扱い)
フェニックス・プロモーション(ファンクラブ名は「YOU-ME LAND」)
スーパーウイング
来歴
小学6年生の時に芸能界にスカウトされるが、両親に反対され断念。しかし1981年、中学3年生になって、偶然にもまた同じ人物から原宿でスカウトされ[1]、芸能界入り。同年に雑誌『週刊セブンティーン』のモデル仕事にて芸能界デビュー。
資生堂「シャワーコロン」のCMキャンペーンガールズ「シャワー」を作るため、田辺エージェンシーが1981年11月にオーディションを開催。そして、250名の中から、矢野や村上里佳子ら7名が選ばれ、「シャワー」を結成。1982年2月21日に、シングル『Do up・愛・ing(ラヴィング)』でレコードデビューした。矢野はグループ内では最年少で、デビュー時は15歳の中学3年生だった。
1984年、映画『パンツの穴』に準主役で出演した事で知名度が広がる。
1985年1月25日、シングル『経験・美少女』にてソロレコードデビュー。 デビュー時のキャッチフレーズは「ちょっと不思議な輝きかた・・・。」。
1986年、車雑誌『外車情報 WHIZZMAN』(成美堂出版)に数号掲載されたのを最後に芸能界を一度引退。
アメリカカリフォルニア州へ留学し、翌1987年7月15日、現地の白人男性との間に男児を出産。矢野はアイドル活動をしている最中から、とにかく外人が好きであることと、アメリカに行きたい旨を発言していた。[2]
その後、息子を連れて日本に帰国し、モデル事務所「スーパーウイング」に所属。1990年代初頭にはスーパーマーケットのチラシモデルなどをしていた。
日本に帰国してからは都内在住。
人物
身長:162cm、体重:43kg、B:80cm、W:58cm、H:84cm、足:23cm(アイドル当時のデータ)
血液型 - B型[1]
弟がいる[1]。
性格 - さっぱりした男っぽい性格で、男女問わず恋愛相談をされることが多かった。
特技 - バレエ(幼稚園の時から習っていた)、スポーツ
趣味 - 映画鑑賞(ホラーもOK)、編み物、ミッキーマウスの小物集め(ミッキーを好きな理由は自分に顔が似てるから)、怪談、読書(母の影響で赤川次郎の作品にハマっていた)
中学時代の部活 - 演劇部
好きな音楽 - ロック、ポップス
好きな歌手 - ロッド・スチュワート、ブライアン・アダムス、スレイド、マドンナ、ピーター・ウルフ(元「J・ガイルズ・バンド」のリードシンガー)、近藤真彦、中森明菜。矢野のデビューシングルの販促パンフレットには、リック・スプリングフィールドも好きだと記載されている。