矢部町
町丁
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度24分22秒 東経139度31分29秒 / 北緯35.40622度 東経139.52478度 / 35.40622; 139.52478
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区戸塚区
人口情報(2023年(令和5年)4月30日現在[1])
人口16,657 人
世帯数7,911 世帯
面積([2])
1.11 km²
人口密度15006.31 人/km²
設置日1939年(昭和14年)4月1日
郵便番号244-0002[3]
市外局番045(横浜MA)[4]
ナンバープレート横浜
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矢部町(やべちょう、英: Yabe-chō)は、横浜市戸塚区の町名。丁番を持たない単独町名である。住居表示未実施[5]。 戸塚区北東部に位置し、面積は1.110km2[6]。町中央部を南北に戸塚道路が通り、東側を南北に東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線が通る。戸塚道路と東海道本線で町が分断されている格好になる。特に東海道本線を越えて町内東西を行き来できるのは、横断歩道橋1箇所であり、徒歩以外では一旦町域外に出ないと不可能である。南端は長後街道に接しており、横浜市営地下鉄ブルーラインが地下を通る。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、矢部町字後ヤキワ135番10の地点で38万8000円/m2となっている[7]。 かつての東海道の戸塚宿の一部で、矢部町、戸塚町、吉田町を戸塚三ヶ町といった。 地名の由来は、矢作部と呼ばれる矢の製造を行う職能集団が住んでいたことと言われている[8] 2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
地理
字名
矢部町
台
後ヤキワ(うしろやきわ)
中溝
ヤキワ
川端
池田
竹之下(たけのした)
峯(みね)
孫七谷
藏坪(くらつぼ)
柳作
越
柳作越
越ノ下(こしのした)
峯ノ下
宮ノ前(みやのまえ)
榎久保
辻(つじ)
鳥ケ谷
脇ノ前
脇ノ谷
久根下(くねした)
西ノ谷(にしのやと)
西之前(にしのまえ)
七廻り
配郷
日之森(ひのもり)
布袋ケ谷
風早(かざはや)
猿ケ谷
谷原(やはら)
明神谷
大久保
大谷
寄ケ下
図書屋敷
池ノ谷
原(はら)[2]
地価
歴史
1889年(明治22年)の町村制施行の際、矢部町は戸塚町・吉田町と合併、鎌倉郡戸塚町大字矢部町となった。
1939年(昭和14年)4月1日に横浜市戸塚区に編入され、戸塚区矢部町が新設された。
地名の由来
世帯数と人口
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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