凡例矢島重成
時代戦国時代
生誕元亀元年(1570年)
死没寛永17年(1641年)
改名行昌
別名通称:佐助、勘兵衛、石見守
主君立花宗茂→立花忠茂
氏族矢島氏
父母父:矢島秀行
矢島 重成(やじま しげなり、元亀元年(1570年) - 寛永17年(1641年))は、戦国時代の武将。豊後国の大名大友氏、その重臣戸次氏、立花氏の家臣。最終的に筑後国柳河藩士。
生涯の子として生まれる。九州征伐の後、立花宗茂に仕える。天正15年(1587年)、主君・宗茂が筑後柳川13万石の領主となると、2000石を与えられる。その後肥後国人一揆攻め、朝鮮出兵、関ヶ原の戦い、大坂の陣などで戦功を挙げる。寛永18年(1641年)、死去する。
参考文献
『筑後人物便覧』(福岡県文化會館、筑後史談會、昭和10年刊の複製、1935年、315頁)
『舊柳川藩志・下巻』(柳川山門三池教育會、渡辺村男、1957年、36・245頁)
更新日時:2020年2月18日(火)04:45
取得日時:2020/03/16 00:58