「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」
松田聖子 の シングル
初出アルバム『Canary』
A面瞳はダイアモンド
蒼いフォトグラフ
リリース1983年10月28日
規格シングル・レコード
ジャンルJ-POP
時間4分17秒
レーベルCBS・ソニー
(8cmCD含む)
Sony Records
(12cmCD)
作詞・作曲作詞:松本隆
作曲:呉田軽穂
チャート最高順位
週間1位(オリコン)
1983年11月度月間1位(オリコン)
1983年12月度月間1位(オリコン)
1984年1月度月間8位(オリコン)
1983年度年間46位(オリコン)[1]
1984年度年間28位(オリコン)
1位(ザ・ベストテン)
1983年度年間41位(ザ・ベストテン)
1984年度年間62位(ザ・ベストテン)
1位(ザ・トップテン)
松田聖子 シングル 年表
ガラスの林檎 / SWEET MEMORIES
(1983年)瞳はダイアモンド / 蒼いフォトグラフ
(1983年)Rock'n Rouge
(1984年)
収録アルバム『Canary』
Misty
(4)Diamond Eyes
(5)LET'S BOYHUNT
(6)
Party's Queen
(8)Photograph of Yesterdays
(9)Silvery Moonlight
(10)
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『瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ』(ひとみはダイアモンド/あおいフォトグラフ)は、1983年10月28日にリリースされた松田聖子の15枚目のシングル[2]。規格品番:07SH 1421(EP盤) 松田の楽曲としては、両曲とも初めての本格的な失恋ソングである。 本作発売時、前作「ガラスの林檎」がB面「SWEET MEMORIES」の好評を得て両A面シングルとしてロングヒットしており、本作と併せてオリコン週間シングルチャートの1位・2位を独占した。本作も当初は「瞳はダイアモンド」の単独A面だったが、再プレス盤以降は両A面としてジャケットの文字部分が変更されたセカンドスリーブ仕様で発売されて両曲のフォントが同じ大きさになった。 TBSザ・ベストテンでは、自身最長となる8週連続1位を記録した。 「欽ちゃんのどこまでやるの!」(1983年12月14日。テレビ朝日)では茶の間のこたつでピンマイクを付けて「瞳はダイアモンド」を歌唱した。 本曲の後に発売されたオリジナルアルバム『Canary』は、アルバム全曲を英語タイトルで揃えるため両曲とも英語タイトルで収められた。それぞれ「Diamond Eyes」/「Photograph of Yesterdays」となる。 2004年に紙ジャケット仕様の完全生産限定盤12cmCDとして再びリリースされる。 2021年発売アルバム『SEIKO MATSUDA 2021』にセルフカバー「瞳はダイアモンド?Diamond Eyes?」が収録。同時リリースの『SEIKO MATSUDA 2020』デラックス・エディションには「蒼いフォトグラフ?Photograph of yesterdays?」が収録されている。 全作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂(松任谷由実)/編曲:松任谷正隆 中川右介は、作詞担当の松本はかねてから演歌の主流である「悲恋モノ」に対して「自虐的だ」と否定的であったが、本作であえてそれと同じ粗筋の歌詞を書いたことを指摘する。その上で、自虐的でなく「ドライで軽い」、アイドル・ポップスという新たな歌謡曲の地平に立ったうえで、あえて「自己肯定的な失恋」を歌にした本曲を、「松田聖子が1983年に到達した地平だった」と評している[4]。
解説
収録曲
瞳はダイアモンド(4:17)
蒼いフォトグラフ(3:56)
TBSドラマ『青が散る』主題歌。
松本は横浜港の赤レンガ倉庫一帯をイメージして作詞したと語っている[3]。
2008年12月25日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』において、松田の大ファンである矢島美容室のナオミ(DJ OZMA)が自身の最も好きな曲として「蒼いフォトグラフ」を挙げている。
批評
セルフカバー/カバー
瞳はダイアモンド
1991年、Deniece Williams
2002年、平井堅が出演したNHKの音楽番組『Music Cocktail』でカヴァーした。その番組内で、この楽曲が好きな理由を「歌声ももちろんであるが、“映画色の街”という、カラー・モノクロ・セピアと、聴く者がそれぞれイメージできる出だしの歌詞が好き」と述べた。