眠れる美女
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この項目では、川端康成中編小説について説明しています。その他の用法については「眠れる美女 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

眠れる美女
訳題House of the Sleeping Beauties
作者川端康成
日本
言語日本語
ジャンル中編小説
発表形態雑誌連載
初出情報
初出『新潮1960年1月号(第57巻第1号)-6月号
1961年1月号-11月号(第58巻第11号)全17回
刊本情報
出版元新潮社
出版年月日1961年11月30日
総ページ数150
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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『眠れる美女』(ねむれるびじょ)は、川端康成中編小説。全5章から成る。「魔界」のテーマに連なる川端の後期を代表する前衛的な趣の作品で、デカダンス文学の名作と称されている[1][2][3]。すでに男でなくなった有閑老人限定の「秘密くらぶ」の会員となった老人が、海辺の宿の一室で、意識がなく眠らされた形の若い娘の傍らで一夜を過ごす物語。老いを自覚した男が、逸楽の館での「眠れる美女」のみずみずしい肉体を仔細に観察しながら、過去の恋人や自分の娘、死んだ母の断想や様々な妄念、夢想を去来させるエロティシズムとデカダンスが描かれている。第16回(1962年度)毎日出版文化賞を受賞した[4]

これまで日本で2度、海外で3度(フランスドイツオーストラリア)映画化された。
発表経過

1960年(昭和35年)、雑誌『新潮』1月号(第57巻第1号)から6月号までと、翌年1961年(昭和36年)1月号から11月号(第58巻第11号)まで、合間に約半年のブランクを挟んで連載された[4]。17回にわたる連載ながら全量は中編で、各回は原稿用紙平均10枚程度のものだった[4]

連載6回目と7回目の間の空白休止期間は、アメリカ国務省の招きによる渡米と、ブラジルサンパウロでの国際ペンクラブ大会出席などの多忙が一因とみられる[4]。連載終了後は、内容に沿って全体を5話の構成で章分けし、同年11月30日に新潮社より単行本刊行された[4][5]

翻訳版はエドワード・サイデンステッカー訳の英語(英題:House of the Sleeping Beauties)をはじめ、中国語(中題:眠美人)、フランス語(仏題:Les Belles Endormies)、スペイン語(西題:La Casa de las Bellas Durmientes)、イタリア語(伊題:La Casa delle Belle Addormentate)、ドイツ語(独題:Die schlafenden Schonen)など世界各国で出版されている[6]
あらすじ

江口老人は、友人の木賀老人に教えられた或る宿を訪れた。その海辺に近い二階立ての館には案内人が中年の女1人しかいなかった。江口老人は「すでに男でなくなっている安心できるお客さま」として迎えられ、二階の八畳で一服する。部屋の隣には鍵のかかる寝部屋があり、深紅ビロードのカーテンに覆われた「眠れる美女」の密室となっていた。

そこは規則として、眠っている娘に質の悪いいたずらや性行為をしてはいけないことになっており、会員の老人たちは全裸の娘と一晩添寝し逸楽を味わうという秘密のくらぶの館だった。江口はまだ男の性機能が衰えてはいず、「安心できるお客さま」ではなかったが、そうであることも自分でできた。

眠っている20歳前くらいの娘の初々しい美しさに心を奪われた江口は、ゆさぶっても起きない娘を観察したり触ったりしながら、昔の若い頃、処女だった恋人と駆け落ちした回想に耽り、枕元の睡眠薬で眠った。

半月ほど後、江口は再び「眠れる美女」の家を訪れた。今度の娘は妖艶で娼婦のように男を誘う魅力に満ちていた。江口は禁制をやぶりそうになったが、娘の処女のしるしを見て驚き、純潔を汚すのを止めた。まぶたに押し付けられた娘の手から椿の花の幻を見た江口は、嫁ぐ前に末娘と旅した椿寺のことを思い出す。2人の若者が末娘をめぐって争い、その1人に末娘は無理矢理に処女を奪われたが、もう1人の若者と結婚したのだった。

8日後、3回目に宿を訪れて添寝した「眠れる美女」は、16歳くらいのあどけない小顔の少女だった。江口は娘と同じ薬をもらって、自分も一緒に死んだように眠ることに誘惑をおぼえた。老人に様々な妄念や過去の背徳を去来させる「眠れる美女」は、遊女や妖婦が化身だったという昔の説話のように、老人が拝む仏の化身ようにも江口には思われた。

次に訪れて添寝した娘は整った美人ではないが、大柄のなめらかな肌で寒い晩にはあたたかい娘だった。江口の中で再び「眠れる美女」と無理心中することや悪の妄念が去来した。5回目に江口が宿を訪れたのは、正月を過ぎた真冬の晩だった。狭心症で突然死した福良専務もこの「秘密くらぶ」の会員だったことを、江口は木賀老人から聞いていた。福良専務は世間では温泉宿で死んだことになっていた。宿の中年女はその遺体を運び擬装したことを江口に隠さなかった。

その晩、江口の床には娘が2人用意されていた。色黒の野性的な娘と、やわらかなやさしい色気の白い娘に挟まれて、江口は、白い娘を自分の一生の最後の女にすることを想像した。江口は自分の最初の女は誰かとふと考え、なぜか結核で血を吐き死んでいった母のことを思い出した。深紅のカーテンが血の色のように見えた江口は、睡眠薬の眠りに落ちていった。

母の夢から醒めると、色黒の娘が冷たくなり死んでいた。江口は眠っている間に自分が殺したのではないとふと思い、ガタガタとふるえた。宿の中年女は医者も呼ばず平然と対処し、「ゆっくりとおやすみなさって下さい。娘ももう1人おりますでしょう」と言って、眠れないと訴える江口に白い錠剤を渡した。白い娘の裸は輝く美しさに横たわっているのを江口は眺めた。死んだ黒い娘を温泉宿へ運び出す車の音が遠ざかった。
登場人物
江口由夫
67歳。老妻と暮らしている。嫁いだ娘が3人いて、それぞれの娘は
を産んでいる。独身の若い頃に駆け落ちまでした恋人がいた。結婚後も芸者愛人、人妻との不倫などがあった。17歳の時に母親を結核で亡くす。
宿の女
40代半ば。小柄で声が若い。わざとのようにゆるやかな物言い。薄い唇を開かぬほど動かし、相手の顔をあまり見ない。相手の警戒心をゆるめる黒の濃い瞳。警戒心のなさそうな、ものなれた落ち着きがある。
第一夜の娘
20歳前くらいの初々しい美しい娘。化粧荒れしていない眉。自然に長い髪。江口に乳呑児の匂いや、独身時代の恋人を思い出させる。
第二夜の娘
妖艶で、眠っていても娼婦のように男を誘う妖しさの娘。えりあしの髪を短くし、上向けに撫でそろえた髪型。前髪は自然に垂らしている。豊かな乳房。よく寝言を言ったり寝返りしたり動きが多い。「お母さん」と寝言を言う。江口は処女のしるしを見る。
第三夜の娘
16歳くらいのあどけない小顔の少女。宿の女が「見習いの子」と称する新人。おさげ髪をほどいたような髪。手入れしていない眉。長い睫毛。江口に3年前付き合っていた細身の人妻と、中年頃にあった14歳の娼婦を思い出させる。
第四夜の娘
大柄で太い首の娘。なめらかで吸いつくような肌があたたかい。整った美人ではなく、鼻の低い丸い頬の可愛い娘。低くひろがった乳房。
第五夜の娘
元気な寝相で、わき臭のややある黒光りの野性的な娘と、やさしい色気の骨細のきれいな白い娘の2人。色黒の娘は、乳かさが大きく紫黒く、長い指で長い爪で細い金のネックレスを付けている。白い娘は、乳房は小さいが円く高く、腰のまるみも同じような形で、細く長い首と美しい形の鼻。
木賀老人
江口の友人。江口に「秘密のくらぶ」を紹介した老人。会員だった福良専務の突然死のことを江口に教える。
作品背景

『眠れる美女』の初版刊行の4か月ほど後、川端は睡眠薬の服用が高じ、1962年(昭和37年)2月には、禁断症状を起して入院しており、数日間意識不明の状態が続いた。このことから、『眠れる美女』の執筆中の川端の「内的作業」とその深部に、薬の影響が絡んでいることが推察され[7][8]、それが一種の魔界を顕現させているこの時期の作品群(『片腕』など)に反映されていることが鑑みられている[8][9]
作品評価・研究

※川端康成の作品や随筆内からの文章の引用は〈 〉にしています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。

『眠れる美女』は、『古都』や『千羽鶴』などの伝統的な日本の美を基調とした作品とはやや趣が異なる、前衛的幻想的な作風で、川端後期を代表する作品として総体的に評価が高い[10][3]


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