真間
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真間
町丁
真間川並木
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度44分14.5秒 東経139度54分35.22秒 / 北緯35.737361度 東経139.9097833度 / 35.737361; 139.9097833
日本
都道府県 千葉県
市町村 市川市
人口(2017年(平成29年)9月30日現在)[1]
 ? 合計7,612人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号272-0826[2]
市外局番047[3]
ナンバープレート市川
歌川広重名所江戸百景』「真間の紅葉手古那の社継はし」(真間の継橋

真間(まま、英語: Mama)は、千葉県市川市町名。現行行政地名は真間一丁目から真間五丁目。郵便番号は272-0826[2]。1889年(明治22年)以前の東葛飾郡真間村と同一の区域である。
地理

市川市北部に位置し、国府台から連なる北部の台地と南部の低地からなる住宅地である。東は菅野須和田、西は国府台、南は市川新田、北は国分と接している。

古くは、真間の入り江といって、この低地部分まで海が入り組んできていた。この入り江の跡に、現在、真間地区を東西に貫いて真間川が流れている。北部の台地と南部の低地との境にある照葉樹林は、矢切(松戸市)、国府台からつながっており、低地の黒松と並んで市川の象徴的な存在となっている。また、大正年間には黒松の自然林を生かした邸宅街が開発された[4]。また、町域の南に京成電鉄本線が通る。一丁目に京成電鉄本線市川真間駅、二丁目に市川真間郵便局、四丁目に市立真間小学校手児奈霊堂真間山弘法寺亀井院がある。
地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、真間2-2-2の地点で29万8000円/m2となっている[5]
歴史真間の継橋(真間四丁目)

この区域に人が住みはじめた歴史は古く、北部の台地上には、隣接する国府台地区にまたがる大規模な弥生時代環濠集落の跡が確認されている。また、地域内の真間山弘法寺敷地内には、前方後円墳の弘法寺古墳、円墳の跡と伝えられる真間山古墳が残る。かつては隣接する市川市国府台下総国国府があり、すぐ近くにまで入江が迫り、砂州の上の並木が美しい風光明媚な場所であったと伝えられている。

真間の手児奈の伝説は著名だが、その伝説と関連して、江戸時代には上田秋成読本雨月物語の中の一編「浅茅が宿」がこの付近を舞台に描かれた。この物語の中に登場する「真間の継橋」は再建されて現在もある。継橋については、この橋を詠んだ和歌が万葉集勅撰和歌集にいくつかあるほか、近代では北原白秋も短歌を残している。

明治後期からは京橋 (東京都中央区)日本橋 (東京都中央区)の大店の別荘・隠居所、また関東大震災後は東京市近隣の高級住宅地として発展する。

万葉集に登場するなど、真間の歴史は古く、また文学者にも好まれた土地で、戦後、隣接する菅野及び八幡に居住した永井荷風が、断腸亭日乗や小説「来訪者」、随筆「葛飾土産」の中で真間近辺のことを描いている。


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