真鍋理一郎
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。

眞鍋理一郎

真鍋理一郎

眞鍋 理一郎
出生名眞鍋 理一郎(まなべ りいちろう)
生誕 (1924-11-09) 1924年11月9日
出身地 日本東京
死没 (2015-01-29) 2015年1月29日(90歳没)
学歴東京藝術大学卒業
ジャンルクラシック音楽
映画音楽
職業作曲家
公式サイト ⇒作曲家・眞鍋理一郎 公式サイト
関連ポータルのリンク

ウィキポータル クラシック音楽

ウィキポータル 映画

眞鍋 理一郎(まなべ りいちろう[1]1924年大正13年〉[1]11月9日 - 2015年平成27年〉[2]1月29日)は、日本作曲家東京都出身[3]
来歴

東京工業大学卒業後、東京藝術大学声楽科(畑中良輔に師事)にて学び、1951年に作曲科へ転科。作曲を池内友次郎に師事した後、池野成の仲介により伊福部昭に師事。イタリアにて映画音楽をアンジェロ・フランチェスコ・ラヴァニーノ(イタリア語版)に師事。父はニコライ学校で学び、神田ニコライ堂で奉職した真鍋理従。1956年から1979年にかけて手がけたSF映画ホラー映画怪獣映画、社会派映画(英語版)、ドキュメンタリーの音楽で高い評価を得ている。特に初期の大島渚とはコンビが続いた[1]

映画『荒城の月』では、主人公の滝廉太郎にオマージュを寄せた叙情的な曲付けを要求されて断固拒否し、助監督の柴英三郎と大喧嘩になったエピソードを、監督の猪俣勝人が後年の著書(『日本映画全史』)に記している。

代表作には『スーパージャイアンツ』、『青春残酷物語』、『日本の夜と霧』、『ゴジラ対ヘドラ』、『ゴジラ対メガロ』、『花と蛇』などがある。

多くの映画音楽から選曲された『眞鍋理一郎の世界』はLPとして発売され、後にCDも発売された。息子の眞鍋平太郎はプロのオーボエ奏者として父の劇伴にも演奏家として参加しており、作曲家としても活動している。また、2009年に開催された父の85歳記念コンサートでは、オーボエ演奏で父の85歳を祝う即興を行った。

2001年には川崎市市民ミュージアムで、1か月に及ぶ特集上映「眞鍋理一郎の映画音楽」が開催された。それまで、映画音楽作曲家を個人特集する企画はほとんど行われていなかった。

現在残しているクラシック作品は、NHK-FMで放送初演された『フリュート協奏曲』、世界仏教音楽祭で2位を得た『甘露門交響曲』、『火と雨の眞言』など。

2009年11月9日には新作を加えて85歳記念演奏会が行われた。2012年9月には、弦楽オーケストラのために《追憶》を委嘱されて作曲し、オーケストラ・トリプティークによる弦楽による奏楽堂の響きにて、指揮の西田幸士郎が初演した。

2013年5月2日、伊福部昭生誕99年音楽祭にて《追憶?ヴィブラフォン独奏のために?伊福部昭生誕99年に寄せて》を作曲献呈、初演(ヴィブラフォン會田瑞樹)。同年より、伊福部昭生誕百年紀実行委員会の副委員長を務める。2014年、約30年を過ごした小田原市から真鶴、後に湯河原へ転居した。

2015年(平成27年)1月29日に老衰の為死去[4]。90歳没。同年4月18日には、「お別れの会」が営まれた[4]
作風

作風は幅広く、希望によりどんなスタイルでも対応できることを売りとしていた。そのスタイルを箇条書きすれば以下のようになるかもしれない。

シンセサイザーエレキギタードラムスなどを取り入れたサイケデリック・ロックジャズの表現を自在に操り、小編成から大編成までのオーケストラと組み合わせ、現代的な不協和音も装飾的に扱うもの(一連の怪獣映画やホラー映画などに多い)。

オーソドックスなオーケストラによる重厚な表現から透明なストリングスの繊細な表現まで、池内友次郎と伊福部昭に習い、その後イタリアでラヴァニーノに習い修行したオーケストラ・サウンドの魅力(『太陽の子』『激動の昭和史 軍閥』『日本の夜と霧』など)。

尺八などの日本楽器を使ったり、民族打楽器やシタールの音色的使用などによる実験的取り組み(『日本の稲作』『映像による現代俳句の世界』など)。

声楽出身だったこともあり、自身で歌った「ああ馬鹿」など、映画の主題歌でも名作を残している。全編に合唱を斬新に取り入れた『飼育』の表現も注目される。

ギター愛好者としても知られ、『現代ギター』にかかわり、多くの編曲や、アレクサンデル・タンスマンへのインタビューを行ったり、渡辺範彦との交友も深かった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:53 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef