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やノートページでの議論にご協力ください。真野田 陽一(まのだ よういち、(1935年(昭和10年)10月6日[1][2] - )は日本の特撮映画の撮影監督。東京都出身[2]。 円谷特技研究所の一員として円谷英二に師事[2]。1953年に東宝に入社し、特撮映画の撮影助手として活動[1][2]。有川貞昌、富岡素敬に次ぐサードカメラマンを務めた[2]。特撮監督(特技監督)となった有川に代わって、1967年に撮影監督に昇進[1][2]。1969年には特撮監督となり、1971年よりテレビ映画の特撮監督が仕事の中心になる[1][2]。テレビ映画ではプロデューサーを勤めたこともあった。 真野田の一家は円谷家の近所に住んでいて家族ぐるみの付き合いがあり、東宝への入社も親が円谷に申し出たためであった[3]。 有川貞昌によれば、『ゴジラ』の撮影時に真野田がカメラのモーターの回転数を上げるのを忘れてしまったが[3]、結果としてコマ落としのような効果となり、次作『ゴジラの逆襲』以降では定番手法となったという[4][注釈 1]。 公開年月日作品名制作(配給)役職
経歴
人物
代表作
映画
1953年10月21日太平洋の鷲東宝撮影助手
1954年2月10日さらばラバウル
1954年11月3日ゴジラ
1954年12月29日透明人間
1955年4月24日ゴジラの逆襲
1955年8月14日獣人雪男
1956年6月22日白夫人の妖恋
1956年12月26日空の大怪獣ラドン
1957年12月28日地球防衛軍
1958年6月24日美女と液体人間
1958年10月14日大怪獣バラン
1959年4月19日孫悟空
1959年7月5日潜水艦イ-57降伏せず
1959年10月25日日本誕生
1959年12月26日宇宙大戦争
1960年4月10日電送人間
1960年4月26日ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐
1960年12月11日ガス人間第一号
1961年1月3日大坂城物語
1961年7月30日モスラ
1961年8月13日紅の海
1961年9月17日ゲンと不動明王
1961年10月8日世界大戦争
1962年3月21日妖星ゴラス
紅の空
1962年8月11日キングコング対ゴジラ
1963年1月3日太平洋の翼
1963年5月29日青島要塞爆撃命令
1963年8月11日マタンゴ
1963年10月26日大盗賊
1963年12月22日海底軍艦
1964年1月13日士魂魔道 大龍巻宝塚映画
(東宝)
1964年4月29日モスラ対ゴジラ東宝
1964年8月11日宇宙大怪獣ドゴラ
1964年12月20日三大怪獣 地球最大の決戦
1965年6月19日太平洋奇跡の作戦 キスカ
1965年8月8日フランケンシュタイン対地底怪獣東宝
ベネディクト・プロダクション
(東宝)