真言宗室生寺派
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室生寺
五重塔(左)・本堂(灌頂堂、右)
(いずれも国宝
所在地奈良県宇陀市室生78
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度32分16.4秒 東経136度2分26.2秒 / 北緯34.537889度 東経136.040611度 / 34.537889; 136.040611座標: 北緯34度32分16.4秒 東経136度2分26.2秒 / 北緯34.537889度 東経136.040611度 / 34.537889; 136.040611
山号宀一山
?生山
宗旨新義真言宗
宗派真言宗室生寺派
寺格大本山
本尊如意輪観音重要文化財
創建年宝亀年間(770年 – 781年
開山賢憬(賢m)
別称女人高野
札所等仏塔古寺十八尊第18番
西国薬師四十九霊場第8番
大和地蔵十福霊場第10番
役行者霊蹟札所
神仏霊場巡拝の道第36番(奈良第23番)
文化財金堂、五重塔、木造釈迦如来立像ほか(国宝
弥勒堂、御影堂、木造文殊菩薩立像ほか(重要文化財)
公式サイト ⇒女人高野 室生寺
法人番号2150005004566
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室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生にある真言宗室生寺派の大本山寺院山号は宀一山(べんいちさん)または?生山(むろうさん)。本尊如意輪観音。「女人高野」の別称がある。
概要

奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築物や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。

平安時代を通じて興福寺別院としての性格が強く、俗世を離れた山林修行の場、また、諸宗の学問道場としての性格も持っていた。中世以降の室生寺は密教色を強めるものの、なお興福寺の末寺であった。興福寺の傘下を離れ、真言宗寺院となるのは江戸時代のことである。真言宗の拠点である高野山がかつては女人禁制であったことから、女性の参詣が許されていた室生寺には「女人高野」の別名があるが、この別名は江戸時代以降のものである[1]

なお、山号の「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという。
歴史龍穴(室生龍穴神社奥宮)

室生の地は火山性地形のため、奇岩や洞穴が多い。室生寺奥の室生川の上流に位置する洞穴は竜穴、すなわち龍神の住み家として信仰を集め、平安時代までには式内社である室生龍穴神社が創設された。当地は祈雨や止雨の霊地とみなされ、朝廷による奉幣も行われた[2]。史料によれば、この寺は奈良時代末期の宝亀年間(770年 - 781年)、興福寺の僧・賢m714年 - 793年)によって開かれた。創建については、役小角(役行者)の草創、空海の再興とする伝えもあるが、これらは後世の付託である[3]

室生寺の創建にかかわる根本史料として、『宀一山年分度者奏状』(べんいちさん ねんぶんどしゃ そうじょう)という文書がある(年分度者とは、毎年人数を限って得度を許された、国家公認の僧のこと)。この文書は承平7年(937年)の作成であるが、現存するものは南北朝時代の写本で、神奈川県金沢文庫が所蔵する。本文書は年分度者を賜ることを奏上するためのものであるが、その前文に室生寺の歴史について記している。それによると、宝亀年間、時の皇太子(山部親王、後の桓武天皇)が病を得た際、浄行僧(行いの正しい僧)5名を室生山に派遣して延寿法を修させたところ効験があった。その後、賢mは山部親王(または即位後の桓武天皇)の命で室生山に寺を建立したという。前述の「浄行僧5名」には賢mも含まれていたと推定される[4]

なお、宝亀年間に賢mはすでに60歳代で、彼の在世中にどこまで寺観が整っていたかはわからず、室生寺の実質的な創建者は次代の修円771年 - 835年)であろうといわれている[5]。修円は興福寺別当を務めると共に、日本天台宗の宗祖である最澄とも交流があった[6]。修円の在世中には、空海の高弟である真泰が室生に入山[7]承和10年(835年)頃には円修と堅慧(けんえ/けんね)が入山している。円修は修円と混同されたこともあったが別人の天台宗の学僧で、初代天台座主義真の弟子である。堅慧は空海の弟子とされ、かつては真言僧と考えられていたが、園城寺(三井寺)に伝わる「大唐国日本国付法血脈図記」によれば、やはり義真の弟子とされている[8]

室生寺は中世を通じ興福寺末寺であったが、江戸時代の元禄7年(1694年)に護持院隆光の拝領するところとなり、護国寺末の真言寺院となった。翌年、徳川綱吉生母の桂昌院は室生寺に2千両を寄進し、これをもとに堂塔の修理が行われた。元禄11年(1698年)、室生寺は真言宗豊山派の一本寺となって護国寺から独立し、現代に至る[9]

1964年昭和39年)には真言宗豊山派から独立し、真言宗室生寺派の大本山となった。
金堂金堂金堂須弥壇(寶物殿開設以前)左から十一面観音、文殊菩薩、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩(この写真では見えない)の各像。手前に立つのは十二神将像。

国宝。屋根は寄棟造?葺き。桁行(正面)5間、梁間(側面)5間(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を意味する)で、桁行5間、梁間4間の正堂(しょうどう、内陣)の手前に、梁間1間の礼堂(らいどう)を孫庇として付した形になる。孫庇部分は片流れ屋根となり、両端を縋破風(すがるはふ)として収めている。堂は段差のある地盤に建っており、建物前方の礼堂部分は斜面に張り出して、床下の長い束(つか)で支えている。このような建て方を「懸造(かけづくり)」と言い、山岳寺院によく見られる。正堂部分は平安時代前期(9世紀後半)の建立であるが、鎌倉時代末期に大修理を受け、多くの部材が取り替えられている。礼堂部分は寛文12年(1672年)に付け加えられたもの[10]。堂内に安置されていた仏像のうち、一部は2020年開設の寶物殿に移されている。かつては須弥壇上に向かって左から十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重要文化財)、釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重要文化財)、地蔵菩薩立像(重要文化財)を横一列に安置し、これらの像の手前には十二神将立像(重要文化財)が立っていた。このうち、十一面観音立像及び地蔵菩薩立像ならびに十二神将立像のうち6体は寶物殿に移されている[11]

須弥壇上には前述のように5体の仏像を横一列に安置していたが、須弥壇部分の柱間が3間であることから、当初の安置仏像は3体であったと推定される。造立年代は釈迦如来像と十一面観音像が9世紀、他の3体が10世紀頃とみられる。中尊像は現在は釈迦如来と呼ばれているが、光背に七仏薬師像を表すことなどから、本来は薬師如来像として造立されたものである。5体の仏像はいずれも板光背(平らな板に彩色で文様を表した光背)を負うが、地蔵菩薩像の光背は、像本体に比べて不釣り合いに大きく、本来この地蔵像に付属していたものではない。宇陀市室生三本松の中村区所有(安産寺)の地蔵菩薩立像(重要文化財)は、室生寺の釈迦如来立像と作風が近い。また、室生寺地蔵菩薩像の板光背は、中村区地蔵菩薩像の像高に合致するものである。以上のことから、中村区地蔵菩薩像は本来室生寺金堂に安置されていたものであり、室生寺地蔵菩薩像の板光背は、本来、中村区像に付属していたものであると見るのが定説となっている[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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