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出典検索?: "中山寺" 宝塚市
中山寺
本堂
所在地兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度49分18.0秒 東経135度22分3.6秒 / 北緯34.821667度 東経135.367667度 / 34.821667; 135.367667 (中山寺)座標: 北緯34度49分18.0秒 東経135度22分3.6秒 / 北緯34.821667度 東経135.367667度 / 34.821667; 135.367667 (中山寺)
山号紫雲山
宗旨真言宗
宗派真言宗中山寺派
寺格大本山
本尊十一面観世音菩薩(重要文化財)
開基伝・聖徳太子
正式名紫雲山 中山寺
別称中山観音
札所等西国三十三所第24番
真言宗十八本山第4番
摂津国八十八箇所第69 - 71番
摂津国三十三箇所第1番
聖徳太子霊跡第26番(開山堂)
近畿三十六不動尊霊場第21番
川辺西国三十三箇所第1番
西国七福神(寿老人)
中山寺山内七福神
神仏霊場巡拝の道第80番(兵庫第15番)
文化財木造十一面観音菩薩立像、木造薬師如来坐像、木造聖徳太子勝鬘経講讃坐像ほか(重要文化財)
本堂、護摩堂ほか(県指定有形文化財)
公式サイト ⇒大本山 中山寺
法人番号2140005018674
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中山寺(なかやまでら)は、兵庫県宝塚市中山寺にある真言宗中山寺派の大本山の寺院。山号は紫雲山。本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所第24番札所。
本尊は、インドの勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿を写した三国伝来の尊像と伝えられる。左右の脇侍も十一面観音で本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国三十三所観音を総摂するとともに法華経(観音経)に説く観音菩薩の三十三の変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳が得られるという。普段は秘仏となっているが、毎月18日に開扉される。また、安産祈願の寺として有名である。地元では「中山さん」と親しみを込めて呼ばれている。
本尊真言:おん まかきゃろにきゃ そわか
ご詠歌:野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後(のち)の世のため 寺伝では聖徳太子が建立したという日本最初の観音霊場である。創建の経緯は仲哀天皇と先后大中姫の子である?坂皇子と忍熊皇子の追善供養のため、あるいは蘇我馬子と聖徳太子に敗れた物部守屋の霊を鎮めるために建立されたという。草創の地は現在当寺の奥之院がある場所である。奈良時代には大小多数の堂塔伽藍を備えた大寺院であったと伝わり、「極楽中心仲山寺」と称されていた。
歴史
平安時代末期、多田行綱は妻の不信心に悩まされていたところ、当寺の観音が「鐘の緒」(鰐口を鳴らす綱)でもって妻を改心させ、夫妻は仲睦まじくなった。それ以降、当寺の観音に子授かりや安産祈願の信仰が生まれたという。以来、当寺は安産祈願の霊場として皇族や貴族、源頼朝などの武家、庶民より深い信仰を集めたが、天正6年(1578年)に始まった、荒木村重と織田信長との有岡城の戦いの戦火を受けて多宝塔や五重塔を含む全山が焼失した。
安土桃山時代、豊臣秀吉が当寺に祈願して豊臣秀頼を授かったとされる。
慶長年間(1596年 - 1615年)に現在地に移転し、慶長8年(1603年)には豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として本堂、護摩堂や阿弥陀堂などの伽藍を再建している。
幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時に安産祈願をして無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となっている。
1995年(平成7年)1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、堂舎や塔頭の総持院、華蔵院などが被災したが、後に復興した。
中山という山が背後にあり、山腹にある中山寺奥之院には厄神明王が祀られ、本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれている。中山寺の境内からは18丁[注釈 1]、徒歩50分程度で参拝することができる。
毎月の戌(いぬ)の日は、安産祈祷会があり、安産を願い、また、鐘の緒(かねのお)(祈祷を受けた腹帯)の授与を求めて日本各地から多くの参詣者が訪れる。
境内はエレベーターやエスカレーター、手すり等が設置されてバリアフリー化されており、妊婦、年配者、障害者の参拝が容易となっている。
境内
本堂(兵庫県指定有形文化財) - 慶長8年(1603年)に豊臣秀頼によって再建。本尊として十一面観音を祀るが、両脇侍にも十一面観音を祀っているという珍しい三尊像形式である。三体の十一面観音で計三十三面としており、西国三十三所の各観音像をあしらい、また、観音菩薩の三十三の変化身をも現している。
護摩堂(兵庫県指定有形文化財) - 慶長8年(1603年)に豊臣秀頼によって再建。近畿三十六不動尊霊場第21番札所。
開山堂(聖徳太子堂) - 1997年(平成9年)に護摩堂を参考にして再建。開基の聖徳太子を祀る。
大師堂 - 摂津国八十八箇所第69番札所。
弘法大師像
五重塔 - 2017年(平成29年)再建。「青龍塔」と呼ばれる。珍しく深い青色で塗装されているが、これは東方を守護する「青龍」を表したものである。ネパールのダルマキールティ僧院より請来された御舎利が安置されている。京都府木津川市の海住山寺や広島県福山市の明王院の五重塔を参考に建てられた。