真田裕貴
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真田 裕貴横浜時代(2010年4月3日、明治神宮野球場)
基本情報
国籍 日本
出身地兵庫県高砂市
生年月日 (1984-02-07) 1984年2月7日(40歳)
身長
体重181 cm
83 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2001年 ドラフト1巡目
初出場NPB / 2002年7月7日
CPBL / 2013年3月24日
最終出場CPBL / 2013年10月10日
NPB / 2014年6月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


兵庫県立姫路工業高等学校

読売ジャイアンツ (2002 - 2008)

横浜ベイスターズ (2008 - 2011)

読売ジャイアンツ (2012)

兄弟エレファンツ (2013)

東京ヤクルトスワローズ (2014)

福島ホープス (2015)

福井ミラクルエレファンツ (2016)

コーチ歴


福島ホープス (2015)

福井ミラクルエレファンツ (2016)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

真田 裕貴(さなだ ひろき、1984年2月7日 - )は、大阪府生まれ[1]兵庫県高砂市[2]出身の元プロ野球選手投手、右投右打)・元コーチ
経歴
プロ入り前

大阪府で誕生して[1]兵庫県高砂市で育った。小学2年の時に野球を始め、投手と遊撃手を務めた[2]高砂市立宝殿中学校から兵庫県立姫路工業高等学校に進学。1年夏からベンチ入りし、2年秋からエースとなる[2]。3年時にエースで4番として第73回選抜高等学校野球大会に出場[2]。初戦の対日大三高戦では近藤一樹から本塁打を放ったが敗退。

夏は兵庫大会決勝でグエン・トラン・フォク・アンを擁する東洋大姫路高校に惜敗。その後、AAAアジア野球選手権日本代表に選出され先発投手として好投した。高校時代は最速146km/h、高校通算25本塁打を記録[2]

2001年のドラフト会議読売ジャイアンツから寺原隼人の外れ1巡目で指名され入団[2]
巨人時代

2002年は高卒ルーキーながら後半戦に一軍の先発ローテーションに定着し、6勝3敗の成績を残し優勝に貢献(ただ、日本シリーズでは登板の機会はなかった)。ドラフト制導入後に高卒1年目で6勝以上を挙げたのは球団史上堀内恒夫以来36年ぶりだった。2003年はプロ初完投なども記録したが先発としては精彩を欠き、リリーフに回ったものの、右肩痛で7月26日に登録抹消され、以降このシーズンの登板はなかった。2004年以降も、一軍と二軍を往復している時期が長くなった。
横浜時代

2008年6月10日に鶴岡一成との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍。背番号は交換相手の鶴岡が付けていた57に決定した。

7月2日の対広島東洋カープ戦で2年ぶりに勝利投手となる。オフに背番号を30に変更。

2009年敗戦処理からセットアッパーまでこなして自己最多となる68試合に登板して防御率2.98、19ホールドと自己最高の成績を収めた。

2010年8月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦で史上29人目の1球勝利を挙げた[3]。同年は8敗して防御率も前年より悪化したが、リリーフとして62試合に登板して16ホールドを記録した。

2011年は主にビハインドの場面で53試合に登板した。


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