真珠郎
[Wikipedia|▼Menu]

『真珠郎』(しんじゅろう、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:眞珠カ)は、横溝正史の長編探偵小説で、探偵・由利麟太郎が活躍する作品である。1936年から1937年にかけて雑誌『新青年』に連載された。

本作品を原作として、テレビドラマ3作品が制作されている[注 1]
概要

『真珠郎』は、第二次世界大戦前の1936年10月から1937年2月の5回にわたって雑誌『新青年』に連載された作品である。本作品の出版に当たっては、谷崎潤一郎の題字、江戸川乱歩の序文、松野一夫口絵水谷準装幀という豪華本となった[1]。江戸川乱歩は序文で「作者の従来の名作『鬼火』『蔵の中』古くは『面影双紙』などには全く見られなかった一つの重大な魅力が加わって、その完璧さにおいて、横溝探偵小説の一つの頂点を為すものかも知れない」との賛辞を寄せている[2]

作者は『週刊プレイボーイ1975年昭和50年)10月28日号の“わたしの10冊”の9番目に本作品を挙げている[3]

本作品には原型となった未執筆作品が存在する。『新青年』1933年(昭和8年)7月号の巻頭読み切り作品として掲載される予定だった『死婚者』で、横溝が執筆中に喀血で倒れてしまい、執筆不能になってしまった。このため、水谷準編集長が持ち込み原稿として預かっていた小栗虫太郎の『完全犯罪』が、急遽代理原稿として掲載されることになる[注 2]。その後、『死婚者』の材料をもとに、構想を改めて執筆されたものが本作品『真珠郎』である[注 3]

本作品は、作者の従来の耽美的作風をそのままに、怪奇ミステリの味わいと本格推理の謎解きとを巧みにブレンドした、作者の戦前の活動を代表する一篇であり、後に金田一ものへと発展する作風の原点となる作品である[6]。作者自身は、前述のとおり喀血で倒れた後、2年にわたる病床生活の間、本作品の材料を温め[7]、当時の英米の謎と論理の本格探偵小説を意識して試みた作品であるが、「謎と論理の本格探偵小説としては、はなはだお粗末なもので、私の幼時からもっているおどろおどろしき怪奇趣味だけが、いやに浮きあがった作品になってしまった」「けっきょく、それらしき作品が書けるまでには、戦後まで待つよりほかにしかたがなかった」と述べている[8]

本作品において扱われる「首のない死体」について、江戸川乱歩は序文で本作品からイーデン・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』を連想し、本作品が『赤毛のレドメイン家』に匹敵する作品であると述べているが[2]、作者自身は本作品についてエラリー・クイーンの『エジプト十字架の謎』にヒントを得て書いたものであると述べている[8]
あらすじ

7月の初めごろ、X大学の講師である椎名耕助は、夕暮れの雑木越しに空に浮かぶ夕焼け雲がサロメの前に差し出されたヨカナーンの首そっくりに見えて、ぎょっとして立ちすくむ。そこへ通りかかった同僚の乙骨三四郎に声をかけられた椎名は、夕雲を指し示してヨカナーンの首に見えるという話をする。

7月15日の夜、椎名は乙骨に誘われて2人で信州に旅行に出かける。そして旅行先の温泉宿で、姪と2人暮らしの鵜藤氏という医者がN湖畔の邸の一室を貸し出す相手を探しているという話を聞き、その邸を訪れることにする。ところが途中、バスに乗り込んできた老婆から、Nに行くのはやめるように言われ、「お前さんたちの身の周りに、今に恐ろしい血の雨が降る。Nの湖水が、血で真っ赤になる。」と予言される。

元は娼家であった春興楼(しゅんきょうろう)という邸での生活は、鵜藤の姪の由美の美しさに惹かれたこともあって初めのうちは満足していたが、そのうち邸の蔵にもう一人誰かが住んでいる様子を感じるようになる。そして数日後の真夜中、椎名と乙骨は障子の隙間から、水に濡れた美少年が柳の樹の下に立っているのを目にする。その類い稀な美しい姿に、2人は妖異なものを感じる。翌朝、2人が鵜藤に美少年を見た話をすると、彼は激しく驚愕する。

それから1週間後、2人が湖水にボートを浮かべていると、浅間山が突然噴火する。溶岩と灰が降り注ぐ中、何とか岸まで戻ったところ、邸の展望台で先日見た美少年が鵜藤に刃物で襲いかかるのを目撃する。美少年は鵜藤の首をえぐると、今度は由美に襲いかかる。2人が邸の中に駆け込むと、肩を斬られて気を失って由美が倒れていた。気を取り戻した由美は、美少年が真珠郎という名で、彼に襲われたことを2人に話す。

真珠郎を追って外に出ると、丘にバスで見た老婆が立っていた。老婆は、真珠郎が逃げ水の淵と呼ばれる洞窟に逃げたことを3人に話し、洞窟の入り口が2つあるため4人で2艘のボートに分かれて真珠郎を追う。椎名と由美は、もう一方のボートとの合流点である浮き洲に倒れている乙骨を見つけ、さらにもう一つの浮き洲に首なし死体となった鵜藤を見つける。やがて気味の悪い笑い声とともに近づいてきたボートに乗っていた老婆のその顔は、真珠郎だった。そして、真珠郎は鵜藤の生首を笑いながら振り回した挙句、逃げ水の淵に放り込むと、ボートを漕いで去っていった。

邸に戻った由美は、椎名と乙骨を蔵の中の隠し部屋に案内し、かつて自分を糾弾した社会に復讐を遂げようと目論んだ鵜藤によって、ここで真珠郎が狂気の殺人者として育てられていたことを話す。その内容は、1年ごとに撮影した真珠郎の写真が貼り付けられた観察記『真珠郎日記』と、由美が鵜藤家に来るまで18年間真珠郎の世話をしていた爺やの証言によっても裏付けられた。

その後、警察の捜索にもかかわらず真珠郎の行方は杳として知れない中、椎名は東京に戻り、乙骨は由美と結婚して吉祥寺に新居を構える。そしてある日のこと、椎名は須田町の交差点で隣り合った自動車に乗っている真珠郎を目撃する。さらにその翌日、真珠郎を見たという由美に連れられて行った映画館で、新聞社のニュース映画の中に乙骨夫妻とその後ろの方に真珠郎が映っているのを見る。

このため由美から「夜の一人歩きや知らない人の誘いに乗らないように」と注意された椎名は、嫂が応対した彼がいない時に訪ねてきた由利麟太郎という人物が椎名に直接会いたいと言っていた話を警戒して断わった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:53 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef