真島昌利
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真島 昌利
出生名真島 昌利
生誕 (1962-02-20)
1962年2月20日(62歳)
日本 東京都日野市
出身地 日本 東京都小平市
学歴東京都立久留米西高等学校卒業
ジャンルロック
パンク・ロック
ロックンロール
職業ミュージシャン
作曲家
担当楽器ギター
ヴォーカル
活動期間1978年 - 1984年
THE BREAKERS
1985年 - 1995年
THE BLUE HEARTS
1989年 - 1994年
(ソロ活動)
1995年 - 2005年
↑THE HIGH-LOWS↓
2006年 -
ザ・クロマニヨンズ
レーベルBMG JAPAN
事務所ハッピーソング
共同作業者ザ・クロマニヨンズ
ましまろ
佐久間正英
著名使用楽器
Fender Telecaster
ギブソン・レスポール
フェンダー・ストラトキャスター

真島 昌利(ましま まさとし、1962年昭和37年〉2月20日 - )は、日本ギタリスト作詞家[1]作曲家ロックバンドザ・クロマニヨンズましまろ(元ジョニー&スリー・クール・キャッツ、THE BREAKERSTHE BLUE HEARTS↑THE HIGH-LOWS↓)のギタリスト。愛称は、「マーシー」[1]東京都日野市生まれ、東京都小平市花小金井育ち。魚座。血液型はB型。既婚。
来歴

1965年、それまで住んでいた東京都
豊島区池袋から東京都小平市花小金井に引っ越す。

1974年、友達の家でビートルズのレコードを初めて聴いたのがきっかけで、ギターを始める。モーリスフォークギターを1万円で購入。

1975年4月13日、東京都台東区秋葉原で初めてエレキギターグレコEG480 レスポール・モデル)を購入[注 1]

1976年、中学校の文化祭で、人前で初めて演奏。東京都豊島区池袋の西武百貨店が開催したアマチュアバンドコンテストに、「ジョニー&スリー・クール・キャッツ」というバンドを組んで出場。真島はボーカルとリズムギターを担当。コピーを2曲演奏したが、バンドはこの日のライブ一回のみで解散する。

1978年12月24日のライブに、THE BREAKERS名義で出演した[2]

1980年、東京都立久留米西高等学校を卒業後(同級生に宙也がいた)、地元でバンド、THE BREAKERSを結成。

1984年11月、のちにブルーハーツのメンバーとなる甲本や河口などと1回限りのバンド、トラディショナルを結成。

1985年1月25日、THE BREAKERSを解散。

1985年2月、ほぼ同時期にザ・コーツを解散していた甲本ヒロト[注 2]が当時住んでいた東京都渋谷区笹塚の廃屋(工場跡)でのパーティーの際、バンド結成をもちかけTHE BLUE HEARTSを結成。その後、真島もギターと家財道具を持って工場跡に引っ越し、同居することになる。

1987年に、「リンダリンダ」でTHE BLUE HEARTSはメジャー・デビュー。その後も、「」「人にやさしく」「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」などがヒットし、日本を代表するロックバンドの中心メンバーとして人気を集める。

1989年、ソロ・デビュー。1994年までの間に、計4作のソロ・アルバムをリリースする。

1995年のTHE BLUE HEARTSの解散後、同年、甲本と新バンド、↑THE HIGH-LOWS↓を結成。

2005年に、↑THE HIGH-LOWS↓の活動休止を発表。その後、甲本のソロ・シングル製作に参加。

2006年、再び甲本と共に新バンド、ザ・クロマニヨンズを結成。

2015年、ヒックスヴィル真城めぐみ、中森泰弘と新バンド、「ましまろ」を結成。5月13日に「ガランとしてる」でデビュー[3]

音楽

ソングライターとして相棒の甲本ヒロトと共に多くのヒット曲を手がけている。THE BLUE HEARTS、↑THE HIGH-LOWS↓で作詞・作曲を手がけた主な曲には、「終わらない歌」「ハンマー」や「チェインギャング」「チェルノブイリ」「休日」「TRAIN-TRAIN」「未来は僕等の手の中」「青空」「夢」「1000のバイオリン」「相談天国」「青春」などがある。

ギター演奏はチャック・ベリーローリング・ストーンズキース・リチャーズに影響を受け、ギブソン・レスポールを愛用。


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