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出典検索?: "真山知子"
まやま ともこ
真山 知子
本名蜷川 宏子(旧姓:生江)
別名義中条 宏美[1]
生年月日 (1941-01-22) 1941年1月22日(83歳)
出生地 日本・東京都渋谷区
身長162 cm
血液型A型
職業女優・キルト作家
ジャンル映画・演劇・テレビドラマ
活動期間1959年 -
配偶者蜷川幸雄(死別)
著名な家族蜷川実花(娘)
谷崎十郎(祖父)
蜷川有紀・蜷川みほ(義姪)
主な作品
『五人の賞金稼ぎ』[1]
『子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる』[1]
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真山 知子(まやま ともこ、1941年1月22日 - )は、日本の女優、キルト作家。
本名は蜷川 宏子。旧芸名は中条 宏美。キルト作家での活動では本名を用いている。身長162cm、体重52kg。
夫は演出家の蜷川幸雄[1]。娘は写真家の蜷川実花[1]。祖父は俳優の谷崎十郎[1]。義姪は女優の蜷川有紀・蜷川みほ。 東京都渋谷区出身。東京家政大学附属女子高等学校卒業。1959年に東映ニューフェイスに合格[1]。同期には千葉真一・亀石征一郎・太地喜和子・茅島成美・新井茂子・都築克子らがいる。2年後、東映を退社して1962年に劇団青俳に入る[1]。1965年、蜷川幸雄と結婚。1968年には夫とともに劇団現代人劇場を結成する[1]。清水邦夫の演劇『戯曲』や、妖艶な悪女で映画・テレビドラマに出演した。 1978年に育児のため休業。1984年から本格的にパッチワークを始め、現在は芸能活動は休止しパッチワーク作家として活動している。 2016年に夫・蜷川幸雄の死去に伴い、蜷川幸雄の作品記録の承継、著作権、肖像権及び商標権を管理する「株式会社ニナガワカンパニー」を設立、代表を務めている。
来歴・人物
エピソード
東映に所属した当初は東映東京撮影所に配属されていたが、撮影中に脚に火傷を負い、和服なら脚を隠せるため東映京都へと移った[1]。
『がんばれ!!ロボコン』への出演は当時『ロボコン』のファンであった娘の実花の要望によるもので、出演が実現し撮影所にも見学に行った際には実花から尊敬されたという[1]。
出演
映画
みんなわが子(1963年、ATG)
なつかしい風来坊(1966年、松竹)
忍びの卍(1968年、東映)
金瓶梅(1968年、松竹)
賞金稼ぎ(1969年、東映)
五人の賞金稼ぎ(1969年、東映)
極道釜ヶ崎に帰る(1970年、東映)
女賭博師壷くらべ(1970年、大映)
でんきくらげ(1970年、大映)
おさな妻(1970年、大映)
カポネの舎弟 やまと魂(1971年、東映)
夜の診察室(1971年、大映)
ポルノの帝王(1971年、東映)
狼やくざ 殺しは俺がやる(1972年、東映) - 佐竹冴子
子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる(1972年、勝プロ / 東宝)
夜のならず者(1972年、東映)
桜の代紋(1973年、勝プロ / 東宝)
女囚さそり けもの部屋(1973年、東映)
安藤組外伝 人斬り舎弟(1974年、東映)
怪猫トルコ風呂(1975年、東映)
祭りの準備(1975年、綜映社 / 映画同人社 / ATG)
任侠外伝 玄海灘(1976年、唐プロ / ATG)
おしゃれ大作戦(1976年、東宝)
あしたの火花(1977年、共同映画)
おんな6丁目 蜜の味(1982年、東映)
テレビドラマ
がしんたれ(1963年、CX)
特命諜報207(1964年、NET)
われ泣きぬれて(1964年 - 1965年、THK)
柔道水滸伝
ザ・ガードマン(TBS / 大映テレビ室)
第24話「ガードマン空へ」(1965年)
第25話「続ガードマン空へ」(1965年)
第40話「結婚と微笑」(1966年)
第81話「殺意の影」(1966年)